2014年1月2日木曜日

恥から見た自己愛パーソナリティ障害(18)

昨日は元日。穏やかな一日であった。私の実家に挨拶に訪れる。 

もちろん1.の原則に従わない人がいてもいいだろう。でも従わない人は、例外的に性格が優れているのだ。それこそ高貴な家に生まれ、何不自由のない生活をしていたにもかかわらず市井に出て行ったブッタのように。条件さえ従えば8歳の子役でもおとな顔負けのように自己愛的になるということはかつて示した通りだ。そこには二つの可能性がある。第一は人よりすぐれて、チヤホヤされることを知らない人。第二はそうされつくして、それに疲れて虚しさを感じた人。第三にはチヤホヤされることに喜びを見いだしつつ、それを見つめる目を持ち、周囲への配慮を忘れなかった人。第一の人は危険である。これから風船が膨らむかもしれない。第二の中にはアイドルとして一世を風靡しながら、主婦になってしまったあの「菩薩」とも称される人、第三には私の頭の中では石原裕次郎がイメージとして近い。最近いくつかの機会に発表し、このブログでも書いた西郷隆盛もイメージとしてはここに入る。
2 その増大は、それを制限したり否定したりするような状況により縮小する。
これはやはりすごいことだ。周囲に対して威張り散らす立場から、自分より「上位」の人を目にすることでこびへつらう立場に一瞬にして変身できることを意味するからだ。これってやっていて恥ずかしくないのだろうか。8歳の子役については、ネットでこんなことが書いてある。
S氏が本番前に楽屋を訪れた際、Aちゃんはほかの演歌歌手らをかき分けて、真っ先に『社長、お疲れ様です』と挨拶したんです。その場にいた多くの関係者がビックリしていましたよ」天才子役と言われるAだけあって、8歳ながらすでに芸能界で生き抜くための“常套手段”をも身につけているようだ。将来どこまで大物になるのか、いろいろな意味で今後の活躍が楽しみだ。
これって普通恥ずかしくないか? 年齢のことはいったん置いておいて。ということはこれが出来るほど「面の皮が厚い」人がナルになれるということなのだろうか? 
この変わり身の力動で面白いのは、おそらく挨拶をされた側のS社長もまたナルなのである。だからAちゃんに露骨に挨拶をされ、チヤホヤされると文句なく嬉しい。その気持ちをおそらくAちゃんもよく汲み取っている。その意味ではよく空気を読んでいる。自己愛を満たされていい相手からはそれを享受し、満たす相手にはそれを提供するという「自己愛の原則」(そんなの利いたことがないが、今作った)に自然に従うという意味では彼らに戸惑いや迷いはないのだ。ある意味ではすごくわかりやすいし、考えて見ればサル社会もそれ以下の動物の社会でも皆やっていることなのだ。(このブログのどこかでハダカデバネズミのこと書いたっけ?一度テレビで見ただけだが、強烈なのだ。)