2014年1月18日土曜日

恥から見た自己愛パーソナリティ障害(改訂)(10)

付録 1. アスペルガー問題と自己愛
付録として論じておきたいのがアスペルガー問題である。しかしここで「アスペルガー障害は自己愛の病理である」などと言い出すつもりはない。両者は私の頭の中だけで根拠なくつながっているだけだ。でも彼らにとって尋常でない怒りの問題が、どうしても「どこから彼らの怒りが来るのか?」という問題へと関心を向かわせ、すると出てくるのが、やはり自己愛憤怒の問題なのである。
 これまでは病的な肥大した自己愛を私はもっぱら問題にしてきた。確かにやたら大きな風船を持つはそれだけ人とぶつかりやすい。自己愛的な人はちょっとした非礼も許さない。部下がチラッと怪訝そうな目で見た、というだけで「反抗的だ!」となるかもしれない。北の寒い国なら処刑ものだろう。でもどうだろう?それほど肥大していなくても敏感な風船はいくらでも考えられるのではないか?
 既に出てきたEさんのように、膨らませようにも膨らませることができず、小さいままで燻っている人の場合はどうか。彼は家庭内で、小さな部署内で、小さいけれどものすごく敏感な風船を保つことになる。周囲はすごくピリピリするだろう。ここで風船が小さい、というのは、一歩外に出てしまうとそれをふくらませようがなく、小さくなっている以外にないからであり、要するにその風船を侵害する人の「人数」が少ないというだけだが、その人の数少ない部下にとってはあまり風船の大きさなど関係ないかもしれない。
 さてもう一つ問題なのが、小さい風船の敏感さが、ある種の被害妄想的な色付けを伴っている場合である。私の中で確信に近くなりつつあるのは、「アスペルガー傾向が被害妄想傾向(恨み)を持ちやすい」ということだ。もちろん心優しいアスペさんもいる。でもその中核にある病理は恨みがましさである。中核症状=他人の心の分かりにくさだからだ。人は他人の心が見えない分だけ猜疑的になるだろう。ただし見えない分だけ楽観的になる人もいる。ということは「アスペルガー+Eさん傾向」というのが最悪の組み合わせということか。こうなると厄介なことになる。アスペルガー傾向の人たちは大きい自己愛の風船を持っているだろうか?必ずしも。というより周囲にあまり関心がないかも知れない。しかし彼らが関心がないのは周囲の人々の気持ちであって、自分自身は人恋しさや羨望を人一倍持つ。そう、彼らもまた小さいけれど敏感な風船を持つ人々の中に数えられてよく、周囲はそれなりの覚悟が必要だろう。
ここでも自己愛の風船について二つのファクターが重要になってくる。つまり風船の大きさと過敏さと。そしてこれが自己愛の問題でいつも行き着く問題、すなわち過敏性の自己愛の問題なのだ。この問題についておさらいしておこう。自己愛の病理には二つあるらしい。それは無関心型と過敏型である、ということだ。無関心型は、一般的なナルシシズム、つまり人に対して横柄で、他人を自分の満足の為に利用する傾向。それに比べて過敏型とは、人に自分の自己愛を傷つけられることを常に恐れているタイプ。私はこちらの過敏性自己愛のことを、対人恐怖傾向と自己顕示傾向の混合であると論じたのだ。ここらへんはほとんど自分の体験だな。私は両方の傾向を持っている。人前で自分のことを滔々と喋る、というタイプでは決してない。だからそのようなタイプに出会うと、すぐさま観察する側に回ってしまう。人と対面していて自分が喋りだすと、その分目の前の人の時間が奪われていく様子がカウントダウン形式で心に表示される。
まあそれはいいとして、私はこの問題を対人恐怖と自己愛はどのように「打ち合うのか」(二つの波が「打ち合う」というニュアンスで)が常に興味があったのである。

付録2 自己愛とセロトニントランスポーター、ドーパミンD4遺伝子との関係

最近の遺伝子の研究と恥の関係は興味深い。脳の神経伝達物質に関する二つの研究がある。ひとつはドーパミンD4に関するもの。もう一つはセロトニントランスポーターについて。これと恥の関係は無視できない気がする。
 ドーパミン受容体の遺伝子には、核酸の一定の繰り返しがあり、それが7回ある人、4回ある人、2回ある人がいるそうな。そして繰り返しが多いほど、「新奇性追求」が高いという。新奇性追求 Novelty Seekingとは、新しい体験に飛びつく傾向、みんなの前で旗を降る傾向などが見られる。これはクロニンジャートいう学者が提唱した理論、すなわち (1) 行動の触発Novelty Seeking (NS:「新奇性追求」)(2)抑制Harm Avoidance (HA:「損害回避」)(3) 維持 Reward Dependence RD:「報酬依存」)(4)固着Persistence (P:「固執」)については気質と呼ばれ、生まれながらにある程度定められているという理論に由来する。クロニンジャーは実はもっと過激なことを言っている。それぞれの傾向は別々の神経伝達物質に関係しているというのだ。それぞれ、中枢神経内の「ドーパミンdopamine」、「セロトニンserotonin」、「ノルエピネフリンnorepinephrine」の神経伝達物質の分泌と代謝に依存しているものと想定されている(Cloninger, 1987)ヒャー、ホントかな。
この新奇性追求、スリルシーキングとの関係を考えるとわかりやすい。バンジージャンプを喜んでする人と、そうでない人の違いなどがよく例として出される。快感を得るために、より多くの刺激を必要とする人と、とんでもないという人の違いか。ある解説(「遺伝子が明かす脳と心のからくり」石浦章一、だいわ文庫を読んでいる)を読んでいると、日本人などでは、このD4遺伝子の核酸の反復数が、日本人は7回を持つ人はゼロパーセントだそうな。ということはアメリカ人などと違って、無茶なことをする人は全然少ないということか。
他方セロトニンの方はどうか。こちらの方も研究が盛んだ。セロトニンに関係する遺伝子は、長い「L遺伝子」と短い「S遺伝子」の2つのタイプがあるという。遺伝子は両親から来るから、両方ともS、両方ともLSLを一本ずつ、という3つのタイプに分かれる。人はそれぞれどれかに属しているというわけだ。そして簡単に言えばS遺伝子の人は神経質な傾向が強いという。SSSLLLというわけだ。そして日本人は98%の人がS遺伝子をもつ(つまりSS、か、SLか、ということだろう)一方では、アメリカ人はLL32%だという。ナニー! またも同じ結果だ。結論としては、「アメリカ人に比べ、日本人が「神経質で慎重かつ不安や心配を抱きやすい」人種であるということは、平和を重んじる反面、精神的な悩みが多く、未来を予測する占いなどに依存する傾向があることからもわかります。」(この部分、あるサイトからコピペした。)
私は昔から神経質で慎重な面が強いと思い、他方ではスリルシーカーとしての傾向は何とも言えないと思っている。遺伝子検査をしてみればわかるのだが。しかしこのセロトニン遺伝子に関しては、対人恐怖と関係しているとみている。しかし問題は、日本人のほとんどがSSだとしたら、差が出ないじゃないか、ということになる。まあ1%の人たちに関してはかなり違った性格とみていいということだろうが。
ということで結論から言えば、ドーパミンD4の受容体の遺伝子に関しては、自己愛傾向(自己顕示傾向?)に関与している可能性がある一方では、セロトニントランスポーターの方は、対人恐怖傾向と関係している可能性がある(但し後者の場合には上記の問題あり)くらいのことは言えるのだろうか。