先日勤務先の病院の精神科部長の退任ということでパーティがあったが、そこで医療連携室のナースと席が隣になったので、早速「取材」してみた。彼女によると1990年代の半ばから、院内で「患者様」と「様」を付けるようになったという。その後患者の名前は呼ばず、番号で呼ぶようになったのであるが、その頃から大変な患者さんも増えてきたように思うというのだ。そういえば私も帰国直後には、患者に「様」をつける言い方に若干戸惑いを覚えたことを記憶している。「患者様は神様」的な発想も、やはりモンスターかとホッ蝶が一致しているように思える。
さて昨日「もう書く事がない」などと書いたが、もちろん私の知識不足、情報不足のためである。そこであとは読書感想をしていく。「学校崩壊と理不尽クレーム」(嶋崎政男、集英社新書)を読んでみよう。
嶋崎氏によれば、MSの問題が生じてきたのは1990年の後半であるという。あるいは公立学校で学校選択制が導入された2000年の可能性もある。ただ社会の耳目を集め、マスコミがこぞって取り上げるようになったは2007年であったという。「投石での窓ガラス破損に弁償を要求したら、親が『そこに石があるのが悪い』といった」とか「学校で禁止されている携帯電話を没収したところ『基本料金を支払え』と親が言った」という例は有名らしく、尾木氏の本にもこの本にも出てくる。
本書で目に付いたのは、医療現場の崩壊と教育現場の崩壊を比較し、ほぼ同じ現象が現在起きつつあることを示している点である。小松秀樹氏の「医療崩壊」(2006年)は有名だが、そこでこの10年で医療関係訴訟は倍増したという事実を伝えている。そしてその小松氏が、「崩壊しているのは、医療だけではありません。教育現場の崩壊は医療よりももっと大きな問題です」と書いてある。
ところで本初の第2章は、「クレーム社会の到来」という題名であるが、保護者とあっているとその様子が変わってきていると言われるようになってきたのがこの10年という。私はこのMPのことについて考えるたびに学生運動のことを思い出すのだが、あの日本中の学生のモンスター化は一体なんだったのだろうと思う。学生の変貌は60年代、70年代をピークに収まっていった。今の大学生はむしろ積極的に授業に出席するという。この種の社会の流れはおそらく一種の流行というニュアンスを持ち、それぞれの時代に特有の現象が見られ、それが収まっていくということを繰り返しているのだろう。そして実のところどうしてそれがその時代に起きるのかを知るすべはない。ただ周囲がそうなって言っているから自分もそうする、ということなのだろう。ひょっとしてこのMPの問題も、その本質を捉える試み自体に意味がないのかもしれない、などとも思ってしまう。