ウチの神さんは一度だけモンスター化しそうになったのを目撃したことがあるが、それはアメリカで車を買った時、地元のトヨタのカーディーラーに抗議した時のことであった。(彼女の名誉のために言えば、学校で無理難題を先生に持ちかけたり、ということは一切なかった。実に子どもにとっても学校にとってもいい母親ぶりを発揮していたと思う。)その時は慣れない英語でやり合っていることもあり、アメリカ人のディーラーはカミさんが何に怒っているのかよくわからなかったらしい。相手の反応が見えず、またそこに脅しや威嚇がない場合には、歯止めが効かなくなる。カミさんは英語で話している時は自分が何を言っているのか分からなくなる状態になりやすいんだな、と私は横で見ていて思った。ただしカミさんの悪いところは、一定以上にエスカレートすると、「もう、あなた何とか言ってよ」と突然私に下駄を預けるところで、私はいきなり無茶ブリをされて、いかにカミさんの名誉のためにその怒りのテンションを引き継ぎながら、軟着陸先を模索するのに苦労するのである。
今尾木直樹の「馬鹿親って言うな!」(角川One)を読んでいるが、そこにこんな例がある。2007年に放映された番組の中で、小学校教員が、「遠足があった時、ある子の母親が『自分は作れないので、先生もうちの子の弁当を作ってくれないか』「どうせ先生だって自分のを作るんだから、もう一つ作るのは簡単でしょ?」と言われたと話したという。スタジオが驚いたのは、その先生がそれを引きうけたと言った時で、その理由としては「だってその子が遠足に来られなくなるから・・・・」であったという。その時の先生の反応は、そんなバカな、という反応であろうが、それを実際に生徒の母親に言われた際に、どう答えようかという心の準備が出来ていなかったのが問題であったと思う。もちろん「先生にお弁当を作ってもらう」事が突拍子もないことは確かだが、発想としてあり得ないというわけでもないだろう。というか人間、この種の発想は結構起きるものだし、時には口に出すこともある。先生との関係の持ち方によってはこのような話を持ちかけることもあり得るかもしれない。そして先生はふと優しい考えを持ってしまった。「お母さんはとんでもないことを言っているけれど、○○ちゃん(子どもの名前)に罪はないわね。そしてお母さんのせいでお弁当なしになったらかわいそうね。いざという時のために余分に作っていこうかしら。」こうなるとこの教師の反応はさほど極端ともいえなくなってくるのである。
お・も・て・な・し・とも関係している
ところで忘れないうちに言えば、このモンスター化の問題、日本人のおもてなしの心とすごく関係していると思う。おもてなしによる従業員の心のひずみとモンスター化は深く関係していると思えるのだ。