2013年12月4日水曜日

「難しい親たち」とパーソナリティ障害の問題(3)

ところでモンスター化について、私は自分がそれに行きかけたことも体験し、またカミさんがなりかけたことも記憶にある。自分がモンスター化する感じは不思議だ。私がよくBPDに関して論じる、「ボーダーライン反応」と似たメンタリティなのだろう。そして私がボーダーライン反応は、「人間誰しも持っているボーダーラインの『芽』である」と言っている通り、私たち皆がポテンシャルとして持っていて、状況次第では発芽してしまうという意味では、私が昨日から言っている「モンスター化」は社会現象である、という主張と近い。パーソナリティの未熟さと関係している、というよりは、パーソナリティの未熟な部分が賦活される、という現象なのだ。ここで「パーソナリティの未熟な部分」とはあいまいな表現であり、不正確なのはわかっているが、与えられた「お題」の関係上、PDとは関係ないよ、とも言えないので。
ボーダー化する時って、「ここまで行って(言って)いいんだ、もっと行っちゃおう(言っちゃおう)」という一種の高揚感がある。それと同時に本当の自己がやや過剰に、つまりは非日常的に表れている感じを持つ。普段は思っていても言えないようなことが出されている感じ。その時には普段の歯止めが外れている感じがある。「キレる」という表現がまさにそうだ。そしてその歯止めと言えば、それは普通外部からもたらされる。「この人にこの事は言っていけないな」とか「これをやったら捕まっちゃうな」という感覚。だからモンスター化する際には自分が普段感じているフラストレーションも、相手の態度も両方が変数として必要となる。

ここで本音を言えば、私は「現代人の未熟化」などということをあまり考えない。昔から「近頃の若いもんは...」というセリフはあったと思う。奈良時代の年寄りが、若者を見て「近頃の若いもんは...」とため息をついている姿を想像して欲しい。それから途方もない時間が流れ、また同じことが言われているのだ。今頃は人は赤ちゃんよりも未熟になっていておかしくない。
 私は人によって人間の成熟度はあまり変わらないと思う。もちろん昔は社会における禁制や様々な習わしに従う必要があったことは確かであり、女性が十代で子どもを産んでいた時代と、現在とでは、20歳の女性のあり方は全く違うのであろう。しかしそれがここ1020年間で急に変わることはないだろう。そしてモンスター化はまさにここ1020年の間の変化とされているのである。そんなに急に人間は未熟にならないだろう。問題はいつモンスター化(ボーダーライン反応)を起こすかもしれない人間に対して、社会がどう対応していいかをまだ準備していないことが問題だと思う。モンスター化しそうになった時に、その相手が当惑する。すると歯止めが見えなくなってしまい、最終的に「キレ」てしまう。