2013年12月14日土曜日
「難しい親たち」とパーソナリティ障害の問題 (13)
ということでこのMPのテーマは明日が最終回。最初から14回くらいにしよう、と思っていたからだ。
最後にまとめよう。表題は、わざと「パーソナリティ障害の問題」などとぼかして書いてあるが、結論から言ってMP達は決してパーソナリティ障害というわけではないと思う。ただし社会により、時代背景により私たちの中の子どもの様な部分、ボーダーライン反応が生じやすくなっているという事情があり、それが人々がみな幼児化しているのではないか、という危惧を抱かせるだけなのだ。 そのボーダーライン反応についてであるが、これは私たち皆がポテンシャルとして持っている。もちろん人によりそれが出やすい人、出にくい人がいると言うわけだ。
ということでボーダーライン反応からMPという現象を説明しようとしたわけだが、これまでに私が用いていたボーダーライン反応の概念ではでは十分説明できなくて、昨日思いついた(実は!)のが、ボーダーライン反応の一つの亜型である「熱狂型」であった。私はこれを「突出型」と言い換えて論じよう。(突然のネーミングの変更。ブログでないとこのような無責任なことはできない。)
昨日もネットの記事で読んだが、「子どもを朝起こしに来ることを担任に要求する親」というのがあった。これはMPだなあ。これは「うちの子にもお弁当を・・」というMPと一緒の分類されそうだ。分類する意味はあまりないかもしれないけれど。これもボーダーライン反応の「突出型」ということが出来るだろう。少し説明が必要か。
普通は、担任に「うちの子を毎朝起こしに来てくれ」というのは極端だとすぐにわかる。「あり得ないだろう」というのが普通の反応だ。でもこの親だって精神を病んでいるというわけではない。最初はほんのちょっと行きすぎた発想を持っただけだろう。「朝どうしても登校に踏み出せない、かと言って親の言葉には耳を貸さない、というウチの子に、担任が電話の一本くらいかけて勇気づけてくれないか」という程度の発想だったのだ。これ自体は別に極端なこととはいえないかもしれない。あとは「先生は学校への通勤途中に家のすぐそばを通ることになりますよね。どうせだったらかわいそうなうちの子のために、ほんのちょっと立ち寄ることをお考えいただけますか?」という要求をすることに対しては、さほど大きくもない飛躍が必要だっただけだ。そしてこれを読んだみなさんが「なるほどね・・・・」とちらっとでも思ったら、ホラ、もうあなたもMPに事実上なってもおかしくない状態なのである。
もし担任の先生が遠回りをして生徒のうちに立ち寄らなければならないという事情があったとしても、親はこのように考えるかもしれない。「先生、おっしゃることはわかります。でもほんの30分だけ通勤を早めていただくだけですよ。一人の生徒の人生がかかっている場合、担任がたった30分の時間を捻出できない、ということはあるのでしょうか? ぼんやりテレビを見て30分くらいあっという間に経ちませんか?それとも先生は一日中30分のぼんやりしている時間も惜しんでお仕事をしたり、家族サービスをなさっているんですか? それとも先生は一人の生徒の人生より、ぼんやりテレビを見る時間を優先するんですか?」となると・・・やはり何となく説得力が出てくる。するとMPはやはり成立するのだ。