2013年12月13日金曜日

「難しい親たち」とパーソナリティ障害の問題(12)

 このテーマ、そろそろ終わりだが、我ながら大した考察ではないなあ。インパクトはかなり薄い。というか人目を引くような主張は結局できない。いやもちろんウケを狙うわけではないが、論文の「肝(キモ)」みたいなところがない。ひところで言うと、「誰でも難しい親、MPやモンスターカスタマーになる素地を持っていますよ」「彼(女)たちは決して極端なPDを持っているわけではありませんよ」ということか。でもこのように書くと読者は、「そんな馬鹿な。自分の娘にももう一つお弁当を作るように担任に要求するようなことを、自分がするわけはないでしょう?」という反応になるだろう。もちろんそれは極端だろう。ふつうはしない、というよりか発想がない。しかしその親がそれ以外では普通に生活をしているとするならば、やはりPDとは言えない。少なくとも精神医学的にはそうなる。やはり社会現象が背景にあり、そこで「魔が差し」てしまう。ボーダーライン反応が引き出されるのだ。そう、幼児的なところが引き出される、という意味ではPD的なのだが、PDとなるとそれがその人の習い性になっていなくてはならない。ではなくてモンスター的振る舞いが「例外的に」起きるというわけだ。わかるかなあ。 
ということで最後にこのボーダーライン反応について書いて、終わりにしよう。「お茶を濁す」と言われようが仕方がない。ボーダーライン反応とは、自分が不当に責められている、馬鹿にされている、大変だ、反撃しなくちゃこちらが潰れてしまう、というアラームが心に鳴り響いている状態だ。ここで「攻撃しなくちゃ」というところはすごく重要だ。それが周囲を困られ、悩ませ、恐怖に陥れるのだから。ここで「潰れる」というのは、プライドでも面子でも職でも何でもありうる。それがなくなると本人の精神にとって危機的な状況になる場合だ。
ところがそれでは「うちの子にも弁当を…」にはあまりつながらない。これは無茶を言って教師を並行させる行為ではあっても、うちの子が遠足に行けない、どうしよう、という危機的状態ではない。だって自分が億劫がらずにお弁当を作れば済むのだから。ということで・・・・

ボーダーライン反応を駆動するもう一つの要因がある。それはその反応が快感に結びつく場合である。その場合は相手への攻撃が必ずしも危機感に結びつくわけではない。若干の危機感と、ある種の熱狂か。
 例えば災害が起きた地域で物が不足して、商店への略奪が起きる。普段は法律を順守する善良な市民が、暴徒化して、商店のガラスを破り、乱入して、食料品を抱えて逃げ出す。これは危機感に裏打ちされたものだろうか?最初はそうかもしれないが、途中から熱狂状態になり、快感も増す。すると止まらなくなるのである。学園紛争もそうかもしれない。一年前までおとなしく受験勉強をしていた高校の秀才が大学に入ってデモに参加し、教師のつるし上げをしたのである。
人は危機感にかられた行動は止められないが、快感に駆動された行動も止まらない。こちらもボーダーライン反応と呼ぶのか。一応そうしとこう。新しい概念を作るのは大変だしね。そしてこちらもスプリッティングが生じている。ただしこれは「自分が今やっていること、それはもうやるっきゃない!」という、自分(の行動)イコールall good の状況なのだ。私はいじめだってこれが働いていると思う。そして自分がAll goodになる時、他人を評価し、顧慮する目は失われる。薬物やギャンブル中毒になると、それを継続するためには盗みも平気になるというのは、結局そういうことだ。