2013年12月25日水曜日

恥から見た自己愛パーソナリティ障害(10)

一次的な怒りの話の続きである。
ウォルター・キャンノンが1929年に、動物が危険にさらされた時の二つの反応パターンとして「闘争・逃避反応」(よく出てくる表現だ)を提唱した際、この辺縁系をも含めた自律神経の活発な動きに注目したのである。オスのカモシカは、もう一頭のオスが近づいてきた際には、ツノを振りかざして威嚇し、追い払うかもしれない。その時は辺縁系の扁桃核や中脳の青斑核が刺激され、交感神経系が興奮し、闘争の態勢に入っているが、主観的には怒りに近い感情を体験しているはずである。この怒りの感情はあくまでも、自分の身の安全や自分のテリトリーを守るための正当なものであり、この部分をそのまま引き継いだのが、私達の怒りのうち「一次的感情」に属する部分というわけである。
 ここでカモシカの身になった場合、怒りに先立って、何かを侵害された、踏み込まれた、という認知が生じることは間違いないだろう。カモシカは自分の体の周囲の一定の範囲を自分のテリトリー(領分)とみなすはずだ。そこに入ってきたらそれを判断して、しかる後に猛然と怒るのだ。彼(と呼んでしまおう)は、はるか向こうに見えるカモシカの姿に対しては、それに反応して突進などしないだろう。「あっちに、自分と同じようにテリトリーを守っているカモシカがいるなあ」、と認知するだけだ。ところが一定以上に自分のテリトリーや、そこにいるメスに近づこうとするカモシカには「あの個体は侵入してきた」という認知を経て怒りの感情が湧くはずだ。
 そこで「一次的な怒りはテリトリー侵害による」と一応言ってしまおう。ここで一次的(英語ではプライマリー、とにかく最初に起きるもの、という意味)と断っているのは、およそ生物を観察する限り、いかに下等であってもこのテリトリー侵害への怒りに類似する反応を起こさないものはないからだ。生命を有するということと、テリトリー侵害に激しく反応するということはほぼ同義と考えていい。おそらく侵害されても平気な個体は、進化のどのようなレベルでも瞬くうちに淘汰されてしまうだろうからだ。突然変異で「極めて寛容」なアメーバが生まれたとしよう。彼は他のアメーバに貪食されてもヘラヘラしていているだけで、あっという間に餌食になってしまう。これじゃ子孫を増やせないだろう。(まあ子孫を増やすと言っても細胞分裂するだけだが、その暇もないはずだ。)
さてここで大事な問題について問うてみたい。テリトリーを侵害されたカモシカは、恥の感情を持っているだろうか? おそらくそうではない、という答えが圧倒的であろう。「テリトリーを侵害された」という認知は、即怒りに向かうはずだ。しかし最大の問題は、このテリトリーは、自意識が生まれるとともに想像の世界で膨らんで行くということだ。現実のテリトリーではなくて、想像上のテリトリーというわけだ。するとどうなるか。もしカモシカにそれなりの自意識が生まれたとしたら、「ああ、侵害されちゃった。俺ってなんてふがいないんだろう…。あいつ(相手のカモシカ)はどうせ俺のことを馬鹿にしているんじゃないか? (馬じゃなくて鹿だけど…)俺もナメられたもんだぜ。」