2013年9月24日火曜日

トラウマ記憶の科学(21)

 私がエマのケースの病者を引き延ばすのは、もうこの本が終わってしまうからだけではない。よくわからないのだ。ということは私の理解の範囲を超えている、ということは慎重に読まなくてはならないということだ。さてこの後に続く分もわからない。
治療者はこう理解したという。「エマは自己非難をすることが自分にとって極めて重要で、深い絶望と見捨てられに対する防衛の役割を果たしていた。自己を責めることで、エマは自分に起きたことをコントロールできるという錯覚が与えられ、それにより自分の障害と戦い続けることを可能にしているのだ。」
 うーん、わからないわからない。助けてくれ。わかったようでわからない。何の事だか実感がわかないのだ。まあ続けるか・・・・。
 エマは次のセッションにやってきて、自己非難についての理解を深めるにつれて、「自分は他人を世話できないから他人から受ける資格がない」という思考がより鮮明になったという。そしてそのことは実は一般の人には当てはまらないのではないかと考えるに至ったという。
そこでセラピストはエマの症状除去の状態を導いてみた。つまり「あなたが自分を責めることなく、抑うつ的でもなくなったらどうなるかを想像してみてください。」するとエマは「そんなことは想像できません。想像することにさえ抵抗があります。」という。そこでセラピストは、ジェンドリンのフェルトセンスを用いて、ではその時どのような体感があるかを説明してください、といった。(中略)
結局セラピストはインデックスカードに次のように書いて、エマに読むように言った。
「私は抑うつを手放したくありません。私は自分を世話することができないし、幸福になれる資格がないからです。」
エマはそれを読んでから笑ったが、それは治療が始まって初めて見た彼女の笑顔だった。
それからインデックスカードに書かれる文章は次のように推移した。「私がもし自分や他人を世話できなかったら、私は自分が人間でない気がし、すると抑うつは避けられない。」
「私は自分にできることはすべてやりたい。しかしすると人は皆私がもっとできると思うだろう。すると助けを求めることなどできないし、そうすることは恐ろしいし鬱になってしまいそうだ。だから私は逃げて何もしなくとも、そのままの方がいい。」
この最後のカードを読んでいるうちにエマは次のことに気が付いたという。「本当は一番問題なのは、他人がどう見ているかではなく、自分が自分をどう見ているかなのだ。自分が自分をどう見ているかが、他人に投影されているだけだったのだ。」このころになるともはや幻聴も消えていて、彼女のうつの状態もだいぶ和らいできたという。
 しかしここまでよくなってきた症状は、父親の健康状態が悪化することでまた再燃し、治療は振り出しに戻る形になったという。(うん、よくあることである。) この二回目の治療の最大の障害と考えられたのは、彼女が幻聴の主が自分であるということをなかなか認められないことであった。

(続く)