2013年8月18日日曜日

解離の治療論 子供の人格について (9)


  子供人格の成長がどのような意味で望ましいかは、あえて述べるまでもないであろう。成長により人格はそれが持っていた可能性のあるさまざまなトラウマを克服し、言葉に直すことが出来る可能性がある。先に述べた「人格の出現はある意味でフラッシュバックである」という言葉を思い出していただきたい。(って、まだどこにも書いてなかったが・・・・。)たとえ子供人格が、遊び専門の役柄のように見えても、それは遊び足りないという意味でのトラウマを負った子どもの頃を表現しているという理解がおおむね正しいだろう。(もちろんこのような目的論的な理解には限界があるということは常に認識しておかなくてはらないが。) 

子どもの人格が「成長」するということは、その子どもが成長を促進するような、つまりは安全でサポーティブでかつ適度の刺激に満ちた環境であることを示していると言えるだろう。そうでないとその子どもの人格はその人格が成立した時点、多くはトラウマの起きた時点に留まっていることになる。フラッシュバックとはいわば固定して自動的に再生されて、そこに創造性が介入しないような精神活動である。フラッシュバックが繰り返されるということは、精神が凍結されているかのように成長することなくそこにとどまったままの状態であると考えられるのである。

こどの人格の成長の話をするとしばしば患者の家族から次のような質問を受ける。「ということは、子ども人格はどんどん成長して行って、やがて主人格のような大人になるんですね。」これに対して私はこう答えている。「うーん、理屈ではそうかもしれませんね。でも大体そのうち姿を消してしまうことが多いようです。」実際に子どもの人格が思春期を経て成人するプロセスを私は終えたことがないが、それは私の臨床経験が不足しているせいかもしれない。しかし印象としては、子どもの人格はある程度年を重ねるうちに、その役割を終えて奥で休んでしまうようである。