2013年8月13日火曜日

解離の治療論 子供の人格について (4)

(承前)
 以上の様々な状況で子供の人格が出現するが、それは多くの場合、そうと認められずに見過ごされてしまう運命にある。親は「この子は時々幼稚なしゃべり方をする」「時々急に依存的になる」と考えるだけでそこに人格の交代が起きているという発想を持たない場合も多い。また子供の人格の方でも自分があまり受け入れられていないと感じられる状況では姿を消してしまう場合も多く、また自分があまり相手にされない場合には「大人しくしている」ことにより、結果的にその存在が見過ごされてしまうこともある。 
 ところで子供の人格はなぜ成立するのだろうか? その子供の人格が出現する時に、常におびえたりパニックに陥った様子を示す場合には、それがある種のトラウマ体験を担っている可能性が高いことは言うまでもない。あるDIDの方の子供の人格は、毎日決まった時間に出現する傾向にあるが、それはその方が幼少時に離別というトラウマ体験を持った時刻に一致している。別の方の子供の人格は両親の激しい争いごとを体験したままの状態で出現する。
 これらの子供人格の出現のパターンを見る限り、これは一種のフラッシュバックの形式をとっていると考えていいであろう。フラッシュバックとは、PTSDの症状に特徴的とされ、ある種のトラウマをその時の知覚や感情とともにまざまざと再体験することである。そのフラッシュバックが「人格ごと生じる」という現象として、この子供の人格の出現を理解することが出来るだろう。

 他方ではいつも陽気にかつ無邪気にふるまう子供人格に出会うこともまれではない。別の人格を呼び出そうとDIDの方に協力を呼び掛けると、それとは異なった子供の人格が飛び出すということがある。あたかもその子供の人格は治療者と遊ぶ機会を待ち望み、呼ばれていた人格の代わりに出てきたかの印象を受ける。そのような様子で出現する子供の人格が深刻なトラウマを担っているかは定かでない場合も少なくない。特にその人格が他人との接触を求め、一緒に遊ぶことで喜びを表現するような場合には、その子供人格はそのDIDの方が幼少時に甘えや遊びを十分に体験できなかったことの代償と思えることも少なくないのである。