2013年6月21日金曜日

DSM-5とボーダーライン 改訂版(6)


最後に―今後のBPDについて思うこと

以上BPD についてDSM-5との関連でもっぱら論じたが、本稿を終えるにあたって私自身の一臨床家としての体験を書いておきたい。私は個人的にはDSM-5でハイブリッドモデルがとりあえずは先送りされたことについては安堵している。多忙な臨床家にとって、あの煩雑なモデルを使いこなす可能性は高くはないし、またその意味も少ないものと考える。臨床家は大部分がカテゴリカルな思考、すなわちABか、といった判断に基づいてで動いているという点は否めない。彼らは短時間で患者について「この人はAの傾向は中等度であり、Bの傾向はやや少なめだな」という風にはなかなか考えられないのだ。10のパーソナリティ障害のカテゴリーは、臨床家にとってどれも思い浮かべやすいものであり、それがいきなり半分に減らされることには戸惑いを生むだろう。たとえばスキゾイドパーソナリティ障害という診断が用いられることが少ないので廃止になる可能性があったという報告を本稿では示した。しかし実際に出会うことは少なくてもそのような診断に該当する人を思い浮かべることはできるし、重要なパーソナリティのプロトタイプの一つとして残してほしいと考える向きも多いであろう。今回のDSM-5における最後のどんでん返しは、結局臨床におけるPDと学問としてのパーソナリティ論の間の深い溝を露呈させたということができるのではないか。
またBPDに限っていえば、この概念が今後DSMICDから姿を変えることは決してないであろう。BPDによる実証的な疫学調査は広く行われ、またその生物学的な特徴も明らかにされつつある。またほかの精神疾患との関連(特に双極性障害など)の研究が進められているからだ。ただしBPDが臨床上さまざまな形をとりうることもまた間違えがないことのように思われる。そのコアの部分に属する人々の病理が長く変わらないという事実の一方では、BPDを想定しなかった多くの患者に、時々一時的、挿話的episodicにその病理が露呈されるのを見ることがしばしばある。それがBPDの診断が一定期間持続することが少ない原因になっているのではないかとも考える。その意味で筆者はBPDにみられる行動パターンを人がストレス化で示す一定の反応パターンとしてとらえること(いわゆる「ボーダーライン反応」)とする考えを提唱しているのでご参照いただきたい。(岡野憲一郎「ボーダーライン反応で仕事を失う」、『こころの臨床 à la carte』第25巻、20063月)
おしまい