2013年6月9日日曜日

精神療法はどこに向かうのか(2)


結局いくつかの方向性を箇条書きにする形になるだろう。そこで
 1.治療における倫理性がより重要視される
2.治療における柔構造性ないしメタスキルの重要性が増す。
3.より関係論的な枠組みの重要性が増す。
3っつに分けて論じよう。
1.治療における倫理性がより重要視される
文明の発達が人々の解放emancipationに沿うならば、その結果として人々は自らが持つ権利に目覚め、社会からの不当な搾取を告発することになる。その結果としてすべての人が平等な社会に到達するわけでは決してないのは、アメリカ社会を見ればわかるが、少なくとも「どうして私だけこんな目にあわなくてはいけないの?」的な発想はみなが共通して持つことになる。機会の平等性は主張できることになるのだ。でもそうなるまでには長い長い道のりだったのだ。人間の歴史は「どうして同じ人間(人種、性、出自、社会的地位)なのに自分だけこのような扱いを受けるのだろうか?」「どうしてあの人だけルールを守らないことが許されるのか?」という声がことごとく黙殺されてきた歴史である。大部分の人間はそのような発想が持てることを知らなかったのだ。そしてそこに厳然として存在していたのが、人間の間の「力の差power differencial」である。それがこの本の数十年で大きく変わろうとしている...
いきなり大上段に構えた話だが、治療関係でも実はこれは同じことだ。治療者と患者、分析家と非分析家の間には、力の非対称性が厳然として存在する。一方(治療者側)は悩みや病を表にせず、多くの治療経験を持ち、多くの専門的な知識を有する。他方(患者側)は悩みや病をさらけ出し、救いや示唆を求めてそのもとに訪れる。これまで多くの治療者たちは、その力の差がどのように治療関係に影響を及ぼしているかを真剣に考えることがなかった。今でも大部分の治療者はそうかもしれない。しかしそのままでは済ますことができない事態が生じつつあるのである。
あーあ、こんな書き出しになるはずではなかった・・・・・。これでも3回くらいの予定なのである。