2013年6月13日木曜日

精神療法はどこに向かうのか (6)

ブログは相変わらずの手抜きである。(でも一応は進んでいる。)今日の東京は私の一番嫌いなタイプの天気。でも寒くないだけましかもしれない。


精神療法の世界では様々な治療法やそれに伴うスキルが開発されるが、それを扱う治療者といえば生身の人間である。どの患者にどのようなスキルをいつ、どのように用いるかを決める治療者は、結局スキルを超えたもの、メタスキルと形容すべきものを必要とすることになる。それは目の前の患者が何を望むのかを感じ取るのはある種の技能であり、感性ともいえる。ここでメタスキル、という言葉について言えば、この言葉ないし概念はピリチュアリズムの世界ではよく用いられる概念であり、アーノルド・ミンデルの配偶者エイミー・ミンデルの概念である。それはスキルを超えた「心理療法家・セラピストとしての『姿勢』」であるというわけだ。メタスキルの定義としては、ネットではこんなことを書いてある。(とか言ってこのブログでこの概念を使いまわすのは何回目だ?いい加減にしろよ!)

メタスキルの定義としては、ネットではこんなことを書いてある。

“Deep spiritual attitudes and beliefs manifest in therapy and in every daily life…. Through their feelings and attitudes, therapists express their fundamental beliefs about life. These attitudes permeate and shape all of the therapists apparent techniques. Conceptually, I raise these essential underlying feelings of the therapist to “skills ” that must and can be studied and cultivated. I call these feeling attitudes “metaskills”.”

治療や日常生活に現れる深いスピリチュアルな姿勢や信念。治療者は彼の人生に関する根本的な信念を表現する、というほどの意味だろう。

実は治療的柔構造という概念も、このメタスキルと深いつながりがある。

「治療構造+メタスキル=治療的重構造」というわけだ。

またしても手抜き?