2013年6月11日火曜日

精神療法はどこに向かうのか(4)


治療における倫理性が重視される結果としてどのような精神療法が必要になるか? これについては私がかつてまとめたことがある本「精神療法・カウンセリングの30の心得」(みすず書房、2012)に述べたとおりである。最初の原則は「自分が患者の立場に立ったらどうするかを出発点にする」という原則から始めるということである。治療者はすべての治療原則の前にこれを前提とすべきと私は考える。これは「治療者は倫理的に行動せよ」という極めて当たり前でかつ漠然とした原則よりはより現実的なものである。例としてインフォームドコンセント(以下、IC)を取りあげよう。「自分が患者の立場だったら治療の内容と問題点を最初に治療者に説明してもらったうえで始めてもらいたいか?」 もしそうだったら、そうすることから出発する。ただし「出発する」ということは、そこに様々な条件が加味されて最終的な治療的な介入(非介入を含む)に彫琢されていくということで、それを直接に行動に起こすと言うことでは決してない。たとえば「自分が患者だったら、何も説明なしに、とにかく始めて欲しい」と思うかもしれない。しかし「自分だったら説明して欲しくないが、ICを取るべしという原則がこのクリニックの原則としてあるし、それに何より相手(患者)は自分と違う人間だから、彼だったら説明を必要とする可能性もある。その場合なら何らかの説明が必要だろう。」となり、最終的にICを取ることになるかもしれない。それでいいのである。
それではどうしていつでも「ICは取るべし」と単純にうたわないのか、と言われるかもしれない。しかしICの実際の運用には様々な幅が考えられるからだ。もちろん治療の開始には正式ICを取るだろうが、途中でのやり方の少しの変化に、いちいち説明をして同意を得るかはその場の判断に任せられるべきであろう。そう、実際にいろいろな治療原則を設けても、それを具体的にどのように運用するかは時と場合によって大きく異なる。それを出来るだけ倫理的に行なう為には「「自分が患者の立場に立ったらどうするかを出発点にする」を出発点にする以外にない。しかしこんな当たり前なことを勿体付けて書いていいのだろうか?

ちなみに私は「精神分析のスキルとは(2)」精神科 21(3) 2963012012年という論文で、精神分析のスキルを「基本原則」と「経験則」の二つに分けて論じているが、この「経験則」は事実上この倫理原則に従ったものである。