2013年6月15日土曜日

精神療法はどこに向かうのか (8)

4.これからの精神療法家とトリアージ機能

最後に今後の精神療法家のあり方について、そのトリアージュ機能の重要性を補足しておきたい。トリアージュとは振り分け、という意味で、患者、来談者の必要に応じて適当な治療スキルを個別に提供したり、それを用いる治療者に振り分けるという意味である。
 メタスキルを有し、柔構造的な治療構造を守るこれからの療法家は、スキルを用いるためのスキルを用いることになるが、「ことさら技法を用いる必要はない」というわけではないという事情がある。否、かえって彼らはいくつかの基礎的な技法を網羅的に習得していなくてはならなくなるであろう。精神療法家が患者の訴えを聞き、ある程度言葉を交わすプロセスで、どのようなアプローチや技法がその患者にあっているかを知るためには、実際にそれを試みて感触を得てもらうことがどうしても必要になる場合が多い。
 例えばトラウマ記憶を抱えた人がEMDRに興味を持ち、それが自分に合うかどうかの質問を治療者は受けることもあるだろう。もしEMDRに対して実際に施したりトレーニングを受けたことのない治療者であれば、「それはEMDRの専門家に一度お話を聞いてください。私にはわかりません。」以上の返答をできないことになる。それではトリアージュの機能を果たしたことには少しもならない。「よそに行ってください。」と言っているだけだからである。しかしある程度のトレーニングの経験を持っている治療者の場合は、それをさらに具体的に説明することができ、またその治療状況によっては「実際に試してみる」ことの是非も含めて判断が可能であろうし、また実際にそれを用いることもできるであろう。また同様のことは行動療法的なアプローチについても、認知療法についても言えるかもしれない。
 患者が本屋に行き、さまざまな精神療法の本が集められているコーナーに行くことを想像しよう。そこで自分に合った治療法を探るために様々な本を手に取ってみる。ある本にはしばらく見入って、ある本はパラパラとめくっただけで放り出して。そして散々いろいろな本を手に取ったあげく、「これはいいかもしれない」と思える本を見つけ出してレジに向かうだろう。
 この比喩を用いるならば、トリアージュ機能を備えた治療者は、患者の話を聞いて、これはどうかと思える23冊を選んで患者に示すようなものである。パラパラめくっては放り出し、という部分は治療者が頭の中でやってあげることになる。どの程度適当な本を見つけ出すことができるかはその治療者の経験がものをいうことになる。

ただしこの比喩で少し不十分なのは、経験ある治療者といえども、結局は自分の得意な治療法についての本を23冊患者に示してしまうということが非常に多いということだ。一般に治療者が経験を積むということは、広く浅くというよりは狭く深くという方向に向かうことを意味する。少なくとも日本の現状ではそうだ。すでにおすすめの23冊を選ぶ際に、トリアージュ以上、ないしは以外のバイアスをかけてしまっているというのが現状なのである。もっと言えば、このようなトリアージュに熟達した経験ある治療者はほとんど存在しないというべきだろうか。しかし理想的なトリアージュ機能を発揮する治療者は、さまざまな治療法について知っていて、いくつかの異なる、しかも治療的に有効かもしれない手法を患者に示し、患者に選んでもらえるだけの力を持っていなくてはならないのである。