2013年5月1日水曜日

DSM-5とボーダーライン(3)



ちなみにこの4つのセクター、DSM‐5の素案ではこれを「表現型 phenotype 」という説明をしている。つまり遺伝子情報が表現されたものというニュアンスだ。つまり「目に見える症状」とは多少なりとも違うわけだが、この4つの表現型に分けることで、BPDの診断の仕方はどう変わるのか?
相変わらず9つのうち5つ以上満たす、というのはかわらないが、そのうち3セクターにまたがらなくてはならない、とある。たとえば「対人関係における過敏性」に含まれる三つ、「感情的・情動的な調整障害」に該当する二つ(合計5つ)だけで、あとは満たさないというのであれば、BPDの診断はつかないというわけだ。大学院における選択科目の履修の仕方に似ているな。
一応このように診断を下す形にする場合、いくつかの問題が生じるという。それはそれぞれの表現型に「重み付け」がなされていないことだ。つまりこれだけは必ず満たしていなければならない、という、いわば必修科目のようなものだ。(この比喩、なかなかいい。)たとえばPTSDの場合なら、トラウマの既往が必ずないとPTSDとはいえませんよ、という具合に。
もう一つは5つの症状は4つのセクターにまたがらなくてはならない、とするべきではないか、という意見もあるという。要するに診断基準を厳しくすることで、より均一なサンプルが得られるというわけで、そのほうが研究者には好まれるというわけだ。しかし臨床家にとっては、そんな細かいこと言っていられるか、ということになる。
いずれにせよDM-5の素案ではBPDの診断は「症状中心→表現型重視」ということになるが、ちょっとややっこしい話だなあ。自分でも書いていてよくわからないや。でもがんばって説明しよう。要するに米国中心に起きているEBM(実証に基づいた医療)はBPDに関してもその生物学的マーカー、疫学的な所見、治療手段、その有効性などについて、数値によりそれを解明しようとする動きを加速させている。いわばBPDは治療場面でも、研究場面でもたくさんのお得意様を抱えている。彼らはBPDをもとに業績を上げようと躍起になっている。そしてそれぞれのお得意様のニーズに見合った形で診断基準を作る必要があるということだ。研究者にとっても、臨床家にとっても使いやすい診断基準としてDSM-5が作りこまれるということである。
しかしそうだからといってではDSM-5の素案BPDの診断基準が大きく変わってしまうかというとそんなわけでもない。中身は結局あまり変わらないんだから。表紙が立派になって、目次がついて、索引もついて、でも内容は以前とあまり変わらない、みたいな。だって表現型と言い換えた中身は結局以前の症状を基にした9つの診断基準なんだから。(しかし5月22日に出版される正式なDSM-5では最終的にどのような形になっているのだろうか?)