さてこの論文(Dissociative Disorders in DSM-5 Annual Review of Clinical Psychology, 2013,
299-326)はここまでは特に問題なく読み進んだが、憑依に関する記述が終わり、心因性遁走に関する項目に移ってから(といっても一ページだけだが)私には話が見えなくなった。心因性遁走は、DSM-5において、それまでのDSM-IVから大きく変った二つ目の点である。心因性遁走はそれまでは独立した項目としてDSM-IVまでは掲げられていたが、DSM-5からは心因性健忘の一タイプとして分類される、という。そしてその理由としては、フラフラと遁走をしたり、自分のアイデンティティが混乱したりということはまれだから、となっている。つまり「遁走」という症状自体はそれほど本質的ではない、ということなのだろう。
しかし私の経験では、心因性遁走は、男性のクライエントに特に多く見られ、その一部はDIDと重複しているのである。定期的に遁走する人格になり、フラっと出かけてしまう、という風に。言うならば解離性遁走は男性に現れやすいDIDの表現形態ではないかと思うほどである。私の経験した遁走の方々はほぼ全員が比較的若い男性なのである。昔、全生活史健忘は日本型の解離だ、という説があったが、日本に特に多いのだろうか? ともかくもこの心因性遁走の件は、DSM-5においては少し格下げが行なわれた感じがある、という以外の解説は保留にしておこうと思う。
さて次の項目はDP/DRについてである。といっても何のことかわからないだろう。Depersonalization/derealization
disorder つまり離人体験・非現実体験の項目である。実はDSM-5はこの解説にかなり力を入れていることがわかる。何しろこれが目立つタイプとしてPTSDの「解離タイプ」が提唱されているほどだからである。しかもこのDP/DRには脳科学的な所見による裏づけがある。離人、非現実体験とは何か?自分の体(離人体験)や世界(非現実体験)に対して、普段は感じないような距離が出来てしまったという奇妙な感覚。私にもあるぞ。中学2年の夏、林間学校の二日目、夕方突然自分の体と心が自然に動かなくなった。あ、自分は自分の腕に「動け」と命令しているぞ」、「あれ、自分は今~と感じようとしているんだな」という体験の奇妙さ。次の日に帰宅して母親の顔を見たら直ったところを見ると、不安がベースにあったのだとは思うが、その時は不安ではなく、奇妙さに圧倒されていた。これが離人体験である。しかしそのような時は、世界も何か遠ざかったように感じられる。離人体験と非現実体験は、一つの体験ではないか、と思っていたが、どうやらその方向らしい。DSM-5ではこれをDP/DRとして、つまり離人体験と非現実体験を個別に扱うことなく、同時に生じる一つの体験として扱うことになるというのだ。