2013年4月16日火曜日

DSM-5と解離性障害(13)

ボストンで爆発事故があったそうだ。おそらくテロなのであろう。ひどいことを考える人間がいるものだ。


  病的憑依の話の続きである。この論文によれば、病的憑依の報告は世界の多くの国で報告されているという。それらは中国、インド、トルコ、イラン、シンガポール、プエルトリコ、ウガンダなどである。このようにあげると何か発展途上国が多いという印象だが、米国やカナダでも、一部のDIDの患者はその症状を憑依として訴えるという。この中でウガンダの調査では、病的憑依を訴える患者に高率で外傷の体験が報告されたという。結局それらの病的憑依の患者を診ると、その人格が内側のものなのか(典型的なDID),外に由来するのか(病的憑依)という点以外は事実上症状に違いはないということである。
 少し具体的な資料もある。トルコの資料では、35人のDIDの患者は、45.7%がjinn(一種の悪魔)の憑依、28.6%が死者の、22.9%が生きている誰かの、22.9%が何らかのパワーの憑依を訴えたという。(もちろん複数回答をしているのであろう。しかしこうなると「憑依をしていない」という人の割合の方が知りたくなるが。)ちなみにこのトルコの研究にも携わっているトルコ出身のDr. Şarという人をまじかで見たことがあるが、かなり精力的にISSTD(国際トラウマ解離研究ソサエティ)にもかかわっている人だ。彼の発言力もこの新しいDIDの基準の変更にかかわっているのではないかと考える。しかしこうなるとDSMは単なる米国の診断基準というよりは、国際的な基準という感じになりつつある。ICDとの差別化はどんどんなくなっていくのだろう。
 ところでかなり重要な記載もあるぞ。DIDの基準に憑依を含み込んだり、人格の交代を必ずしも第三者が見ていなくてもいい、などの変更を加えるに至ったのは次のような事情があるという。解離性障害ではとにかくDDNOS(ほかに特定されない解離性障害)が多いという。全体の40%がそうだというのだ。これはDSMの基準に含まれる数多くの精神疾患の中でも飛びぬけて高く、これは受け入れがたいという事情がある。簡単に言えば、多くのDDNOSがどこかの分類、例えばDIDに組み込まれるだろうし、そうすべきだということだ。解離の世界では、DIDの診断には、治療者が人格の交代を見届けることが必要であるとの了解事項がある。私も患者さんの報告だけではDIDにはせず、DDNOSにとどめるようにしている。しかしそういった「常識」が覆されるべきであるというのがこのDSM-5の流れと言えるだろうか。これについては解離に対して批判的な臨床家からは一言ありそうだ。