2013年4月15日月曜日

DSM-5と解離性障害(12)

昨日は強風で、アクアラインが通行止めになるかとさえ危惧した。今日は一転して穏やかな日和である。

本格的にDissociative Disorders in DSM-5 Annual Review of Clinical Psychology, 2013, 299-326を読み進める。何しろ今年(2013年)のホヤホヤの論文だから、ここに書いてあることはおそらくそのままDSM-5に反映されていることだろう。まさか最後のどんでん返し、ということもあるまい。
ちなみにこの論文には、PTSDと転換性障害についての解説も入っている。そしてそれは解離性障害も転換性障害もトラウマと関係が深いからであるという。DSM-5ではPTSD,ASD(急性ストレス障害)が属している「トラウマとストレス関連障害」という大きなくくりの後に解離性障害、身体症状障害(そこに転換性障害が含まれる)があげられているが、それによりそれらは互いに関係があるよ、という意図が表現されているという。(ちなみにこのコンセプトはICD10そのままである)。
まずDIDであるが、さすがに診断基準に大きな変化はない。その安定度はDSM-IIIからDSM-IV-TRまでほとんどそれが変化しなかったことからもわかる。ただしMPDDIDという名称変更(DSM-IV)を除いては。しかしいくつかをピックアップするならば、
l        人格の交代とともに、憑依体験 possession もその基準に含むこと。
l        人格の交代は、直接第三者に目撃されなくても、当人の申告でいい、ということを明確にすること。
l        健忘のクライテリアを、日常的なことも外傷的なことも含むこと。

まずなぜ憑依、なのか。私は最初はこれは少し意外だった。解離の先進国(米国)ではこんなことが問題になっているのか。これには政治的な意味合いもあるのかもしれない(後述)・・・。
「病的憑依においては、異なるアイデンティティは、内的な人格状態によるものではなく、外的な、つまり霊 spirit、威力 power、神的存在 deity、他者 other person などによるものとされる。」とSpiegel 先生は説明する。(しかし英語の表現は簡潔だなあ。)そして「病的な憑依は、DIDと同様に、相容れないアイデンティティが現れ、それは健忘障壁により主たる人格から分離されている。」とも説明している。ここで「病的憑依」と断っていることは、健忘障壁のない憑依は「病的では必ずしもない」という含意があるのか?
ここでこの憑依問題について一言。臨床的にもこれは非常に大きな問題になっている。別々の人格を持つ、という以外に、霊にとりつかれるという形の体験が結構多いのだ。そこで患者さんに尋ねられることになる。「本当にこれは解離なのですか? 憑依、あるいは憑き物ではないのですか?」そこで私は汗をかきながら、「いや、憑依というのは解離の体験を主観的にそう言い表しているのであって・・・・」と説明する。そして「憑依とは、別人格の一種であり、もともと外にいたものが内側に乗り移ったものと主観的に感じられるだけの違いである」と自分に言い聞かせる。ところがDSM-5であっさりと、「別人格や憑依体験によるもの」と認められると、「えー?」となるのだ。それでいいの?憑依された霊は、別人格とは違うの????となるわけだ。そこでここに先ほどの「政治的な意味合い」が出てくる。何しろ世界には、DIDとしてより、憑依体験として解離現象が説明される場合がおおい。それを解離の文脈に取り込む、という配慮、ないしは作戦がDSM-5の編集者(DrSpiegelを筆頭とする)にあるのではないか、と考えるのである。