2013年4月29日月曜日

DSM-5とボーダーライン(1)

昨日は母親のお見舞いに千葉まで往復したが、アクラインでものすごい渋滞に巻き込まれた。朝11時に出て対岸についたのは3時過ぎ。帰りも同様。今でも目をつぶると、延々と続く車の列が思い出される。GW中の車の移動はNGである。
さて今日から新しいテーマ。

本年522日に、長年多くの識者が検討を重ねてきたDSM-5 がとうとう発刊された。(ってまだじゃん!) このDSMの最新の改訂版は、20に及ぶチャプターの並び方が障害どうしの関連性を反映している点、またDSM-III以来の多軸診断を廃止した点など、さすがにDSM-IVから19年を経た議論を反映しているだけあり、大幅な変更が随所にみられる。そもそもDSM-Vではなく、DSM-5と、アラビア数字による改訂番号の表記が画期的である。私は個人的にはこちらの方が好きだ。ただしインターネットエクスプローラみたいに、毎年DSM-5.2, DSM-5.32 などと改訂されては困るが。
ところでこのDSM-5に境界パーソナリティ障害(以下BPD)の名は健在である。さすが、BPD!! DSM-IIIに収められた1980年以来、BPDはわが国でも広く臨床家や一般の人々の間でも知られ、きわめて有用な疾患概念となって臨床の場に定着している感がある。その概念の定義や臨床的な応用に関しては、多くの議論が錯綜しているという感を免れないが、それでもDSMにおけるBPDの診断基準は、30年前に提唱されてから、大きく変更を加えられないできた。しかし今回DSM-5において大きな変化がもたらされようとしている。そしてその診断基準は文章の量にして従来の倍にもなろうとしている。もう覚えきれない! そこには様々な最近の研究の成果が関与していると言っていいであろう。
これまでのBPDの批判の一つは、それがカテゴリー的すぎるということ、かなり多くのPDと重複することや、polythetic 多形質的でそれがかなり多様な病態を含みこむということであった。今回のDSM-5における大幅な変更は、そのような批判に対する回答という気もする。
カテゴリー的であるというニュアンスはおわかりだろう。9つの基準のうち5つを満たせばBPDという診断の仕方が、AさんはBPDか、BPDではないか、というニュアンスを生み、またBPDならほかの診断(自己愛、とか演技性とか)ではない、という印象も伴う。パーソナリティ障害(以下PD)を持つ人は、10あるパーソナリティ障害のどれか一つに当てはまる、というニュアンスが、カテゴリー的だ、というわけだ。でも実際にはPDの人はいくつものPDにまたがった特徴を持っていて、10のうちどれか一つ、というわけにはいかない。(ついでに言えば、DSM自体も、PDを二つ以上満たしてはいけない、とは断ってはいない。その場合は混合型Mixed Typeと分類されるわけだ。でも使う側は何となく、10のうちのどれか一つ、という風に考えがちなのだ。)