2013年3月10日日曜日

パーソナリティ障害を問い直す(27) 


改めてパーソナリティ障害を見直す(3
「反応」としてのBPD
2番目の私の関心は、BPDの在り方についてである。Zanarini その他のBPDの予後調査が示す通り、BPDは意外に時間経過の中での安定性が低い。6年のフォローアップで70%のBPD患者が診断基準を満たさなくなってしまうというのは驚くべきことである。私が精神科医になったころ、つまりは1980年代の前半の話であるが、BPDは非常に治りにくいもの、基本的には一生ものであるというのが常識であった。そもそもBPDはパーソナリティ障害である。パーソナリティというからにはその人の身についていて、簡単には変わらないものでなくてはならない。精神分析的精神療法でも長い時間をかけ、ようやく少し改善が見られる程度、などと教わった。しかし実際の調査では、その改善は意外と速い(そしておそらく治療とは独立に生じる)ということになる。
ただしこのZanariniの調査はBPDの病理が数年間で消失したと報告しているわけではない。ここも重要である。患者たちの行動の激しさが薄れ、診断基準を明確には満たさなくなる一方では、彼らの持っている世界観や対人関係上の問題は依然として残っているのがむしろ普通である。特にBPDと診断された人たちのうち、コアな部分を占める人たちについては、そうなのだ。
さてBPDが数年で基準を満たさなくなるという事情は、もう一つの可能性を示唆していると私は思う。それはBPDが実はパーソナリティ障害とは必ずしも言えず、人生の危機における一過性の行動パターンであり、それを抜け出せば、比較的平穏な生活を送っているような人たちを含んでいる可能性である。つまりこちらは中核群ではなくて周辺群ということになるが、これはパーソナリティ障害というよりは、むしろ案外人生の一時期にボーダーラインのようなあり方を示しているだけではないだろうか。ただボーダーラインの花開いている時は、臨床家も「ああ、こうやって人生を送ってきたんだ。」と納得してBPDの診断を付けてしまうのだ。しかし彼女たちの多くは、数年後に同じ臨床家が出合い、診断が考え直されるという機会を十分に与えられていない。
ボーダーラインの臨床に携わっていると、一時期、たとえば23年の間繰り返し激しいアクティングアウトを起こしていた患者さんが、その後比較的落ち着き、それなりに人生を送っているケースに少なからず出会う。その時期は仕事に適応できず、恋人や家族を巻き込み大変なエネルギーを発揮した人が、同じ人かと思うくらいに社会の中で目立たない人生を送るようになる。ただし実際に会って話を聞いてみると、「やはり昔のあの人だな」という印象を持つ。それはそうだ。同じ人なのだから。相変わらず相手に責任を転嫁し、舌鋒鋭く口撃をする様子は変わらない。しかしだからと言って特に目立った不適応行動はもう見せないのである。人生から学んだのか、はたまたエネルギーが低下したのか。このようなケースが先ほどのBPDの周辺群に該当するというわけだ。彼女たちはおそらくその一時期を過ぎると入院や服薬の必要性がなくなり、外来に通ってくることもなくなるために、臨床家の視界から消えていく傾向にある。そのために彼女たちのフォローアップはこれまで十分にできないのだ。
このようなケースの存在は、BPDは本当にパーソナリティ障害なのか、という疑問を投げかける。人生の危機に瀕して、周囲ないしは相手が100%敵に見えて、強行突破を図るしかないと考えてしまうことが私たちには時々あるのだろう。仕事捨てて遠くに行きたい、自分をいじめ続ける上司を一発殴って会社を飛び出したい、家族を忘れて自分を本当に分かってくれる彼女と出奔したい・・・・・。それらの多くはファンタジーに終わるが、時には実行に移される。いったん移された行動はある程度の連鎖反応を起こし、しばらくは終息の気配は見せないが、そのうち沈静化する。このような危機に対する「反応」としてのボーダーライン的な行動を考えるべきではないか、というのが私の長年の主張である。もちろんその時期が一種の軽躁状態、あるいは気分変調型のうつの時期に重なっていたということもあり得るだろう。