2013年3月7日木曜日

パーソナリティ障害を問い直す(24) 


 「解」を読み終えて(7
  さてADの病理について述べた以上、BPDのそれについても言及したいが、これは脳科学的な基盤という意味でははるかに込み入っている。いや、この言い方は正確ではない。ADの場合は込み入っていないという印象を与えるかもしれないからだ。しかし実はBPDの病理がどのようにして生じるのかについての確たる理論はないといっていいのだ。とにかくいろいろな要素が関与しているらしいのだ。その中には確かに遺伝の影響はある。一卵性双生児の一致率は35%であり、二卵性は7%というデータがある。(ベイトマン・フォナギー著:「メンタライゼーションと境界パーソナリティ障害」岩崎学術出版社)この歴然たる差は、遺伝の影響の大きさを物語っている。しかしそれでも一卵性双生児の一方がBPDの場合、片割れがBPDである確立は三分の一でしかない。ということはそれ以外の要因が関与しているらしいのだ。その中で専門家が注目しているのが養育上のさまざまな問題であり、トラウマであり、愛着の障害なのだ。

さてそろそろ「解」の私なりの“解”についてまとめにかからなくてはならないが、すでにその概要はお分かりであろう。KTにおいては、BPDの病理とADのそれとの不幸な共存があった。BPDに関してはその原因の一つとしておそらく幼少時の虐待的な養育環境が影響していた。そしてADは「神経発達障害」としてのそれである。そしてこの両者の病理が同時に特徴としている他者への攻撃性が不幸な「事件」を生んだ原因として考えられるのである。ただしもちろんこれは「事件」の説明の一つの試みでしかない。実際の「事件」の一義的な原因などあるはずもない。さまざまな原因が複合的に重なってあの「事件」が起きたと考えるべきであろう。(ひとまずお終い。)