「解」を読み進める(4)
「解」の二番目の章である「埼玉での生活」には、KTの示す「社交的」な面も書かれていて興味深い。これまでも書いたように、KTは自分を見つめてくれている人の存在を、あたかも空気中の酸素のように必要としているというところがある。つまり彼は他人といると快適ないしは安心なのであり、必然的に社交的ということになる。ただその社交性は独りよがりのものであり、自分を利するものでしかないと思われるだろう。自分から他人のもとに寄っていっても、相手にされなかったのではないか。しかし案外そうでない面も示される。たとえば彼はこう書く。
「東京でのイベントで入手できるゲームを頼まれたときには始発で出かけて何時間も並び、少しでも速く青森に送ってあげようとしたり、秋葉原で入手できるCDを頼まれたときには、そのほかにもサービスで関連グッズを詰め込んで青森に送ったりもしました。」
あるいは中古車屋で高い車を買わされそうになった時のことについても、「断ればいいじゃないか、といわれそうですが、断れないのは、その店員が社会との接点になるからです。予算オーバーでも、当時の私としては、その店員の為に『買ってあげた』感覚でした。」
このような行動に見られる彼の対人交流の態度は、お人よしでサービス精神が旺盛のように見える。一緒に過ごす相手にとっても、KTは「いいやつ」として映っていた可能性がある。そもそも彼は高校時代を通して常に友人とつるんでいた(そうしていなかったことがなかった)というわけだが、彼が他人といても常に相手にされていなかったとしたら、そのような「交友関係」(と呼んでおく)は不可能であっただろう。KTが相手の心を自分の心の中で想像し、利他的な行動をとることが出来ないような深刻な発達障害を抱えていた、という想定は必ずしも当てはまらないことになる。この「そこそこに利他的」であり「案外いいやつ」であったKTが最終的に「事件」を起こしてしまったこと、この不思議さ、わかりにくさはより問題の本質に近いのだろう。数日前のグアムでの事件のデソト容疑者も、陽気で明るい性格として通っていたという報道もある。
この章ではまた、例のロジックも顔を出す。意地悪を受けた「その正社員の間違った考え方を改めさせる為、まずは所属していた派遣会社の上司経由でクレームを付けるという方法で怒りを伝えました。」という文章は、すでに紹介したものに非常に似ている。しかしここでは「それが無視された為、無視できないような痛みを与えようと、無断でやめることが思い浮かんだものです。」と、それが怒りの表現であることを認めている。ところがすぐ後の部分では、「とはいっても、その正社員を痛い目に併せたかったわけではありません。間違った考えを改めて欲しかっただけです。痛みを与えるのはその手段です。」と書いている。
この章ではまた、例のロジックも顔を出す。意地悪を受けた「その正社員の間違った考え方を改めさせる為、まずは所属していた派遣会社の上司経由でクレームを付けるという方法で怒りを伝えました。」という文章は、すでに紹介したものに非常に似ている。しかしここでは「それが無視された為、無視できないような痛みを与えようと、無断でやめることが思い浮かんだものです。」と、それが怒りの表現であることを認めている。ところがすぐ後の部分では、「とはいっても、その正社員を痛い目に併せたかったわけではありません。間違った考えを改めて欲しかっただけです。痛みを与えるのはその手段です。」と書いている。
次の章「茨城の生活」でも、この同じ文章が登場する。今度は対象は派遣会社である。「会社は私に、業務上必要なフォークリフトの免許を取らせてやる、と約束しておきながら、そのまま放置していました。」という。そこで「派遣会社の間違った考え方を改めさせるため、無断で工場をやめ、派遣会社が工場から怒られることで痛みを与えようとしました。」とある。
この「茨城の生活」という章ではまた、KTのBPD的な側面をにおわす記述が見られる。勤めていた工場の上司が車好きだと知り、サーキットに連れて行ってもらうが、そこで浮いた存在になってしまう。そして「・・・場にそぐわない高性能車に乗っていたこともあって浮いてしまい、楽しめませんでした。・・・ 「自分」がない私ですが、車が好きだと言うことは、私の中で細いながらも芯が通っていたものだったと思います。そんな車が楽しくないものになってしまったことで、自分を支えていたものがポッキリと折れてしまったようなきたしました。」
自分の中に安定したものがなく、空虚さを埋めてくれるものや人に依存し、時にはそれらの人や物に死に物狂いでしがみつくという傾向を、彼自身もある程度は認識していたかのようであるが、この部分はまさにBPDの病理と重なるものと考えていいだろう。