2013年2月14日木曜日

パーソナリティ障害を問い直す(3)


5年前の秋葉原事件を起こしたKTの手記(「解」)を読み始めた矢先に起きた、昨日のグアム島での事件。
「米領グアム島で12日夜に起きた無差別殺傷事件で、死亡した日本人女性は、いずれも栃木県栃木市の上原和子さん(81)と孫の杉山利恵さん(28)と確認された。外務省などが13日明らかにした。殺人、殺人未遂容疑などで逮捕されたチャド・デソト容疑者(21)は現地警察の調べに、「車とナイフで、出来るだけ多くの人を傷つけるつもりだった」と供述しているという。外務省の発表では、日本人は2人が死亡し11人が負傷。現地の病院関係者によると、13日夕の時点で6人が入院し、杉山さんの生後8か月の乳児と3歳児が含まれている。3歳児を含め3人は重傷。上原さんの弟禎三郎さん(72)によると、上原さんらは12日に日本を出発。14日に杉山さんの弟の結婚式を行い、15日に帰国する予定だったという。(2013214 Yomiuri OnLine)」
この事件が5年前の「事件」と状況が似ていることは皆が気が付くことだ。犯人が乱暴に車で現場に乗り付け、すでにその時点で何人かにけがを負わせ、次に運転席から刃物を持ち出し、無差別的に殺傷を開始する。犯人は若い男性、「できるだけ多くの人を傷つけたかった」と証言する。これらの部分は双方の事件に共通する。外国でのこのような事件の場合、すぐ薬物の関与を疑うわけであるが、今のところその種の情報は入ってこない。
グアム島のニュースに触れて、少し不謹慎な考えが頭をよぎった。社会には他人を無差別的に殺傷したいという衝動を覚える人が数は少ないながらも存在し、ごくまれにその中の一人がそれを実行に移す…。この考えを持つのが後ろめたいのは、この行為を社会現象の一つとして、「起きるべくして起きる」と割り切りかねない点である。
上記の考えが倫理的に問題かは別として、この種の(事件)を見る目が大きく二つに分かれることを思い出させてくれる。一つはそれをあくまでも個人の病理として扱う方針。もう一つは社会の病理としてとらえる見方。前者は犯人の精神においてどのような異常が生じていたか、あるいは犯人の個人史の何が事件に結びついたのかを考える。後者は現代の孤立した若者の生き方、ネット社会という開いているようで閉鎖的な空間で人の思考やファンタジーに歯止めがきかなくなるという現象。ネットゲームでの殺戮に慣れ、ゲーム感覚で人をあやめてしまう危険性・・・・といった面に焦点を当てることになるだろう。KTはたまたまその社会の病理を具現化したに過ぎず、KTの予備軍は続々と生まれつつある…という論調になることが予想される。
「解」を読み進めるはずであった私のこの文章は、昨日のグアム島での事件を受けて自由連想なってしまっているが、ここでもう一つ、書くことにこれまた後ろめたさを覚えるようなことを今思い出した・・・・。5年前にあの「事件」起きた時、私が職業上出会う結構多くの人が「あのKTの気持ちはわかる」と私に伝えたことである。もちろん彼らは、あのような事件を起こすことは言語道断だという。そのうえで、しかしファンタジーとしてあのような事件を起こすことは少なくとも彼らにとっては決してありえないことではない、と私は確かに聞いたのだ…。