2013年2月21日木曜日

パーソナリティ障害を問い直す(10) 

「解」を読み進める(8)


第9番目の「事件に至るまで」という章以降では、KTのインターネットの掲示板とかかわりに関する記述が増してくる。そしていよいよ「事件」の核心部分に迫って行く。彼が「事件」を起こしたのが、2008年6月8日だが、その一週間前に、彼は事件について「思い浮かび」、秋葉原にナイフを買いに訪れている。しかし刃物屋だと思って入った店が雑貨屋で、そこで面白いアイテムを見つけたKTは、それを職場の友人に買っていこうという考えに夢中になり、「ナイフのことはすっかり忘れて帰宅し」てしまう。ここでは自殺、ないしは殺傷事件という深刻な内容の思考が、ごく些細なきっかけで突然消え、またよみがえるという奇妙な、そしておそらく病的なKTの心の動きが示されている。

 この章以降では、「事件」の直接の引き金になったインターネット上での出来事についても注目したい。とはいえ、私には彼の書いていることが十分に把握できない。スレッドに投稿し、そこに反応してくる投稿者たちとのやり取りに一喜一憂するという体験を持ったことがないからである。しかしもはや現実での人間関係を失ったKTは、この世界に没頭する。そこで彼自身が立ち上げたスレッドで、ある人物に「成りすまし」や「荒らし」といった被害を受ける。そしてその人物とのやり取りがまっすぐ「事件」につながって行く形となる。あるいは少なくともKTはそう説明しているのだ。第10番目の章「思い浮かんだ事件」では、KTはこう断言する。「成りすましらとのトラブルだけが事件の動機だったのは事実です」。

 この「思い浮かんだ事件」という章では、「事件」の原因をKTなりに説明している。彼はこういう。「(私は)成りすましらとのトラブルから秋葉原で人を無差別に殺傷したのではありません。」「秋葉原無差別殺傷事件は、成りすましらを心理的に攻撃する手段です。」この違いはちょっと聞いただけではわかりにくいが、KTはここは重要であるとする。彼はさらにもう一つの区別も強調する。
 「なりすましらはどこの誰なのかわからない人だから、どこの誰なのかわからない無関係な第三者を同一の怒りの対象として殺傷したわけではありません。そうではなく、なりすましらはどこの誰だかわからない為に、殴るといった直接の物理的攻撃も、にらむといった直接の心理攻撃も不可能で、何かを通して、間接的に攻撃をするしかなかった、ということです。」つまりKTがなりすましにできる唯一の攻撃は、スレッド主である彼が大事件を予告し、それを実行することで、自分たちのせいでそんなことが起きた、という罪悪感や恐怖を体験させることであったというのだ。

数日前のグアム島での類似の事件を起こしたデソト容疑者。事件の動機についてほとんど意味のある供述をしていないという。それに比べてKTはこの「解」で何らかの鍵を提供しようとしていることになる。もう少し注意深く彼のロジックを追ってみたい。