2012年10月7日日曜日

第9章 DBS(脳深部刺激)への期待 (3)

不埒なファンタジーに戻る

インターネットの情報も交えてDBSについて紹介したが、パーキンソン病に対する治療としてはその効果自体が確立しているということもあり、一つの治療法として定着していることがわかる。しかしそれ以外の効果については、たとえばうつ病のそれについてもこれからまだまだ可能性が広がっているという印象を受ける。
 このように考えるといいだろう。脳とはきわめて複雑でその仕組みの細部は全然わかっていない精密機械のようなものである。そこのどこのボタンをいじれば何が起きるかはわかっていないし、それを知るための人体実験は現実には不可能である。その昔一人の勇気ある人間がそれをやり、パーキンソン病には有効であることがわかった。でもそれ以外の部位を刺激して他の病気の治療を試験的に行うことには極めて慎重でなくてはならないし、患者の人権の尊重が叫ばれる現在では、実験的な試みは更に難しくなっているというところがある。いずれにせよDBSはこれからどのような発展があるかわからないが有望な分野であると言えよう。
 ところで読者は私の不埒な空想のことを覚えているだろうか?オールズがネズミの脳に行ったように、人間の快感中枢に電極を差した人はいるのだろうか?冒頭で紹介したバーンズの本にはそのことが載っている。

 米国ルイジアナ州のニューオーリンズにチューレーン大学があるが、そこで1950年代に初めて精神科と神経内科を合体させたのがロバート・ヒースだった。彼がこの話の主人公である。脳の深部、脳幹に隣接して中隔野という部位があるが、ネズミでそこを壊すと激しく興奮することが知られる。逆にそこに電気刺激を与えると…・うっとりしてしまうというのだ。例の一時間に2000回の話である。そして彼が注目したのも人間のこの部位であった。その実験のフィルムが残っているという。ストレッチャーに横たわる若い女性の姿。その脳には電極が埋め込まれていて、そこに電気が流れるようになっている。以下はバーンズの著書からの引用。

女性は微笑んでいた。「なぜ笑っているんですか?」とヒースが尋ねる。「わかりません」と彼女は応えた。子供のように甲高い声だった。「さっきからずっと笑いたくってしょうがないんです。」彼女はくすくすと笑い出した。「何を笑っているのですか?」女性はからかうように言った。「わかりません。先生が何かなさったんじゃないの。」「私たちが何かしていると、どうして思うんですか?」・・・(141ページ)

こうして実験は続けられたが、ヒースと彼女の会話には明らかに性的なものが感じられたという。ヒースは他の患者にも中隔野への刺激を行い、その多くはそれを快感と感じたというが、反応は人それぞれであったらしい。電極をほんの12ミリ動かしただけで、むしろ苦痛の反応を引き起こしたりする。中にはそれにより激しく怒りを表出した人もいて、ヒースの実験を非人道的であると非難する学者もいたという。
 結局バーンズの本からわかることは、快感中枢に電極をさして最後を迎えるというアイデアはうまくいきそうにないということである。彼の記述の重要な指摘を再び引用する。
 特に人間の場合に顕著な脳深部刺激のこうした不安定さから、痛みと快感は、脳の別々の部位に存在するわけではなく、むしろ同じ回路の様々な要素を共有していることがわかる。(139ページ)
 脳深部刺激はそれ自体がまだ非常に粗野で大雑把な技術でしかない。極めて複雑な集積回路の中にドライバーを突っ込んで電気を流すようなところがある。たまたまそれはある部位に行なうことでPDの症状を軽減するという福音をもたらした。しかしそれを人の心をコントロールするレベルに持っていくためには、まだまだ前途多難という気がする。
 最後にひとこと。私の例のファンタジーはお預けである。「一時間に2000回」はよほどいいところに電極が針が刺さった場合であろう。それだけの腕のいい外科医などいないだろう。そうするぐらいなら今のうちに頭蓋骨に穴をあけておいて、自分で針を……。