次にタメット氏の説について検討したい。彼は自分自身のサバンとしての体験から出発していかに自分の頭脳が機能しているかを語る為に、きわめて説得力がある。その著書「天才が語る」から引用してみよう。
まず彼は自分の数学を通しての体験が言語的な体験と近いということを強調する。これについては、本章でもすでに紹介した。(数がいくつかの素数に分解される様子が、たとえば英単語がいくつかの部分に分かれるのと同じ感覚で生じるという。たとえば incomprehensibly (理解できないように、という形容詞)が、in と comprehend と ible と lyとに分かれる、という風にである。タメット氏によれば、たとえば37×469という掛け算を見ると、それが6253+(111×100)であることが見た瞬間にわかる、というが、単語をいくつかの部分に分かれるのがすぐにわかるのと同じ感覚であるという。もちろんこれは私にはチンプンカンプンであるがタメット市にとっては当たり前のことなのだ。
まず彼は自分の数学を通しての体験が言語的な体験と近いということを強調する。これについては、本章でもすでに紹介した。(数がいくつかの素数に分解される様子が、たとえば英単語がいくつかの部分に分かれるのと同じ感覚で生じるという。たとえば incomprehensibly (理解できないように、という形容詞)が、in と comprehend と ible と lyとに分かれる、という風にである。タメット氏によれば、たとえば37×469という掛け算を見ると、それが6253+(111×100)であることが見た瞬間にわかる、というが、単語をいくつかの部分に分かれるのがすぐにわかるのと同じ感覚であるという。もちろんこれは私にはチンプンカンプンであるがタメット市にとっては当たり前のことなのだ。
タメット氏は、そもそも言語的な能力にはきわめて広範な知的能力を必要とすると説く。そしてわれわれ全員がある意味では言語に関するサバンであるという。さて次のくだりが重要なので引用する。「自閉症やてんかん、統合失調症といった脳神経の症状は、脳の抑制レベルが低下し、本来なら独立している領域の間で異常な混線が生じた結果ではないか、と多くの研究者たちは考えてきた。」(p171)そしてそもそも共感覚が、そのような抑制の低下の一つの現れであるという。
彼は代表的なサバンであるキム・ピークの例を出す。かの「レインマン」の主人公のモデルとしても知られるキムは、2009年にすでに世を去っているが、彼は生まれたときから脳梁が欠損していた。脳梁はすでに本書にも登場しているように、左右の大脳半球の間に存在し、その交通を促進したり抑制したりする部分だ。そして彼の脳梁の欠損は、抑制の低下を生み、その結果として彼の大脳が情報を蓄積する力が飛躍的に増しているのだとする。これもあるサイトにグラフィックに描かれているキムの脳の図があるので紹介しよう。これも「抑制の低下」を招く結果となり、彼の爆発的な記憶力を生み出しているというのだ。
彼は代表的なサバンであるキム・ピークの例を出す。かの「レインマン」の主人公のモデルとしても知られるキムは、2009年にすでに世を去っているが、彼は生まれたときから脳梁が欠損していた。脳梁はすでに本書にも登場しているように、左右の大脳半球の間に存在し、その交通を促進したり抑制したりする部分だ。そして彼の脳梁の欠損は、抑制の低下を生み、その結果として彼の大脳が情報を蓄積する力が飛躍的に増しているのだとする。これもあるサイトにグラフィックに描かれているキムの脳の図があるので紹介しよう。これも「抑制の低下」を招く結果となり、彼の爆発的な記憶力を生み出しているというのだ。
http://ontogenez.narod.ru/htmT/fenomMind.htm より |
しかしそうは言ってもやはりサバン現象は不思議だ。脳生理学的には全然わかっていない。果たして将来解明されるかどうかも不明だ。それは人間の無限の可能性、まさに宇宙的な可能性を示唆しているとしか言いようがないのだ。