2012年10月19日金曜日

第12章 サバン症候群が示す脳の宇宙―心理士への教訓

患者に眠る「プチサバン」を見出す

私は心理士の皆さんにはサバン症候群が示す脳という宇宙の広さに純粋に驚嘆し、感動して欲しいと考える。それに「誰でもサバンになれるポテンシャルを持っている、問題はそれに抑制がかかっていることかも知れない」という発想は素敵だ。私たちはさまざまな能力を、独創的な発想を、創造性を、恥ずかしさや後ろめたさや不安のためにがんじがらめに縛りつけて発揮されないようにしている可能性がある。その縛りはしばしば患者本人にも気がつかないし、その周囲の人々にも気がつかない。心理療法家はその抑制を少しだけ取り除くことに貢献できるかもしれない。それによりサバンは無理でもその患者の持っている感性や才能が花開く可能性がある。心理療法をそのようなポジティブなものとして捉えることができるかもしれない。
   サバンの話題からは少しそれるが、日々の臨床をやっていて思うのは、いかに人にはたくさんの種類の能力があるかということ、そしてそのどれに才能や長所を見出すことが出来るかは全く人それぞれであるということだ。そこには無限のバリエーションがあり、そして類型化することはむずかしい。
例えば少しだけ変わったところのある青年について「彼はアスペ的だ」というのは、少しだけその特徴をつかんではいるものの、目を疑うばかりの誇張や決め付けを行うことにもなりかねない。実際にはアスペルガーに特徴的な所見は、一般人の中にも散発的に見られる。実際にあるのは、個々人により違う「プチサバン」的傾向と、「プチ発達障害傾向」の様々な組み合わせなのだ。

たとえばある女性は人の気持ちを理解し、子供の扱いに長けているが、同時に数学が好きで、幾何学の持つ緻密で紛れのない世界が自分にとって救いの場所だと言う。その女性の数学好きは、彼女のアスペルガー的な面を表しているというよりは、数学に美的な価値を見出し、そこに浸ることが出来る能力が備わっている、と捉えるべきであろう。しかしその女性が、では物理学に興味を示氏、力学の法則に美しさを見出すかと言えば、全然違ったりする。人が何に才能を有するかは、それこそ食べ物の好みのように微妙なバランスやさまざまな要素の取り合わせが影響している。
   ここで私が改めて述べたいのは、心理士は患者の様々な発達上の特徴を見据え、場合によってはその人が持っている「プチサバン」ぶりを見出すと言うことも含まれていいのだ、ということだ。私は教育心理学についての知識が欠如しているが、教職にあるものの立場としては、子供の才能を見出す、場合によっては掘り起こすという努力は当然なのかもしれない。しかしこと心理臨床になると、この種の提言はあまり見られない。なぜならば心理臨床は、そして精神医学は特に、患者の異常や欠損部分をいかに見出し改善するか、ということにのみ力を注ぐからである。