2012年10月17日水曜日

第12章 サバン症候群が示す脳の宇宙 (2)

サバンは脳の空きスペースを利用する
  サバン症候群の興味深いことは、それが脳の障害とかなり密接な関係を持っているということだ。ある脳の障害を持つということは、それを担当する皮質が使われないということを意味する。するとそれをいわばフリースペースとして、別の能力が占拠することができる可能性が生まれる。精神遅滞と盲、そして天才的な音楽的才能の三つがそろうケースは非常に良く知られているが、それは視覚が大脳皮質に占めるエリアが非常に広いために、盲目なために使われていない視覚野に音楽をつかさどるエリアが「張り出す」という現象が起きていると考えられる。
   一つある原則的なことを述べよう。大脳皮質は実は一つのことに役割が分担されているわけではない。皮質は別のことにも使い回しがきく。これを「脳の地図は描きかえられる」ともいう。たとえばよく知られた幻肢(ファントムリム)という現象がある。手を切断した場合、すでに手の感覚はないはずなのに、顔をふれた時、同時にあたかも(すでにそこにない)手をふれられたような気がするという現象だ。これは手からの入力がなくなり、使われなかった皮質が、顔からの入力にも反応するようになったことになる。説明のために図を描いてみた。

  この図で最上層にあるのは大脳皮質の感覚野の神経細胞である。下の手と顔の絵から矢印が向かっているが、それらは手や顔の感覚入力を皮質の神経細胞に伝える神経線維だと思っていただきたい。ここで手術や事故により手からの神経が切断されたとする。すると手からの感覚を受けることが出来ない皮質の細胞は遊んでしまうことになる。ところがそこにすぐ隣にある左側の、顔からの感覚を伝える神経線維が伸びてくる。それが下の図である。


この図は、顔をふれると切断されたはずの手を触られている感覚がするという事態を表現していることになる。何しろ体はその神経細胞が刺激されると、それは手からの信号であるということを覚えているから、そのように感じ続けるわけだ。

ラマチャンドランの「脳の中の幽霊には、それを地図に書いた図が載っている。

この図では、顔の1の部分をふれると切断した手の親指が、2の部分をふれると人差し指が触られている気がする。(以下、3は中指、4は薬指、5は小指である)。もちろんこの時その顔の部分を触られているという感覚も伴う。そして感じているというその手自体はもう切断されてしまっているのだから、実に奇妙な体験となる。



この空いた「大脳皮質への張り出し」という現象はサバン症候群を理解するうえでの一つの有力な仮説を提供する。それが、「左脳の傷害に対する右脳の代償説」である。まあ簡単に代償説、としておこう。これを提唱しているのはTreffert (2006) という学者である。彼によるとサバン達は左半球にダメージを被っているという。そしてサバンのスキルのほとんどは右半球由来のものだというのだ。(これについては後で少し説明を必要とする。)元々自閉症では、この左脳の機能低下と右脳の代償という理解はしばらく前からあったという。何しろ左の言語野がほとんど働いていないのが、自閉症の主要な障害だと考えれば納得がいくであろう。

 これに関連して、左脳をピストルで撃たれた少年の研究があるという。それによりその少年は言葉を話せなくなったものの、機械的なスキルについてのサバン振りを発揮するようになった。もう一つの証左はピック病に見られるという。ピック病は前頭側頭痴呆と言われるが、しばしば左脳に特にダメージが起きる。すると美術的な才能が開花するという。

以前脳卒中で美術的な才能が開花したという人のことが話題になったが、そのサイトは非常に興味深い。(http://x51.org/x/04/06/2745.php)この人の場合性格まで違ってしまったという。ただし脳のどの部位が特にダメージを受けたかは明確には書かれていない。