報酬系から見た心理士へのアドバイス (1)
利他的な行為とは、他人を利することが自分にとっても快感を及ぼすような行為である。このように表現しても、当たり前のようにしか聞こえないかもしれないが、「私は自分を殺して、人のために尽くしているんです」と本気で考えている人にとってはある種の洞察を提供するかもしれない。「でもそうすることが自分でも心地よいのですね。つまりこれは自分のナルシシズムの満足でもあるわけです。」別言すれば、ナルシシズムの関与しない愛他性は存在しない、ということだ。そこで・・・
アドバイスの1. 報酬系の理解に基づく人間関係の基礎としての「Win-win の原則」
(以下、2年前のブログの内容を部分的に転用。)
私は5年余り前から、週に3回大学院の教師として働くことになったわけだが、それまではもっぱら医師のみの立場で働いていた。だから教師としての在り方に慣れるのには時間が少しかかったが、そこでわかったことは、患者さんも学生もあまり変わらないということである。ただし誤解しないでいただきたい。学生さん達が精神科的な問題を抱えているといっているのではない。私としては学生にも患者にも同じような心構えで対面すればいい、ということがわかったのである。それは一言で言えば彼らはどうように「お客様customers」だということだ。これを知ってから、少なくとも学生との間は平和的にやれている。その同じような心構えやそれに基づいた接し方とは、つまり彼らがあってこそ私がある、という関係を理解し、前提とすることだ。彼らがこなければ(治療に来る、教室に授業を受けに来る、という意味で)、あるいは彼らが満足しなければ私も仕事のやりがいがない。仕事が苦痛になるだろう。ということは彼らと私がwin-win (相手も得をし、自分も得をするという意味の英語的表現)になる状況を探すことが最前提になる。逆に言えば、それを考えてさえいれば、あまり仕事上で迷うことはないのである。(もちろんこちらがそのつもりでもうまく行かないことが時々あるのは当然であるが。)
このwin-win の原則は、しかし案外忘れられがちなのである。一番多いパターンは、自分がやっていることが当たり前である、と思い込むことであろう。患者は来て当たり前。授業には生徒が出て来て当たり前。他方では相手側にとっては受診や受講をして直接win するものがなく、ただ単位をとるため、薬をもらうため、ということになるとお互いに不幸になるだけだろう。そのことに気付かないというパターンが多いのだ。
このwin-win の原則は意外に便利だ。少なくとも人間関係でどうもしっくりこない時、実は自分の思っているwin-win と相手のそれが食い違っている場合、ないしは自分のwin が相手のwinよりいつの間にか大きくなりすぎて、事実上 win-lose の関係になっている場合であることが圧倒的に多い。だからその場合はそうなっている理由を一つ一つ検討すればいいわけである。つまりは人間関係がうまく行かないとしても、「私が悪い」からではなく、win-win 状況の把握が間違っている、計算違いをしている、ということになるを考えればいい。これは自分を過剰に責めなくてもいい、ということだ。しかし独りよがりもできないということになるだろう。
さてこのような原則はことごとく患者の人生にも当てはまる。患者の話を聞いていると、その人生上の様々な問題、特に対人関係についての訴えが多い。そこで対人関係がうまく行っていない場合、どこかにWin-winに従っていない部分があるとみて検討を患者と一緒に進めていく。非常に多くの場合、患者は自分がwin しすぎである一方、相手がwinしているものがあるのかについて、その見当すらしていないことが多い。あるいは相手にwin させすぎて自分自身がちっともその関係から得るものがなかったりする。
Win-win
状況を作るということは、実はある意味で高い対人観察能力を必要としている。自分とのかかわりで、相手は何を求め、何を得ているのか。患者がこれを探ることを援助するのは、心理療法のもっとも基本的なテーマとすらと言えるのだ。内観にも似たような考えがみられるかもしれない。