2012年8月24日金曜日
報酬系の続き (9)
報酬系の話が面白いのは、私たちの日常生活にかなり重要な関わりを持っているからである。報酬系の刺激とは、いわば私たちが一日を生きていく上で獲得するご褒美のようなものだ。報酬系が程良く刺激されることは、一日の生活が比較的心地よく送れることを意味する。私たちが仕事場や学校で時間を過ごす時、そこでの業務(勉強)や同僚(友達)との交流などを通じて、ある程度の楽しさを味わっているのがふつうである。いわばそれをあてにして日常を送っているようなところがある。もちろんあてにした分の報酬が得られる保証はなく、その多寡に応じてその日の気分が変わったりすることも多い。また一方で快の量が予想されれば、他方では苦痛分も予想される。これは日常生活を送る上で必然的に伴う苦痛であり、それを覚悟しつつ私たちは毎日を送っているわけだ。
一日の快の総計と不快の総計は、大体の予想は可能でも様々な条件によりその量が左右されるが、自分自身でコントロールすることのできる快もある。その典型は、ゲームやパチンコ、酒、食事等、遊興や飲食に関わることである。これに関しては私たちはあまり譲りたいと思わないものだ。否、頑強に固執するものである。(自分の生活習慣を考えるとよくわかる。)
この問題について、2010年の5月に私は次のような内容をこのブログにしたためた。大部分はそのまま使えそうだ。
私たちの脳は、おそらく非常に精巧な計算を行なっていることに気がつく。それは一種の貸借対照表のようなものを作り上げていることになるのだ。それは例えば次のように働く。「今日は仕事を終えたらうちに帰ってビールを飲もう。確か冷蔵庫には缶ビールを二本冷やしているはずだ。」缶ビール二本、という量がとりあえずあなたを満足させる量であるなら、それを思い浮かべた時点で、ある種の満足が得られる。あなたが安心して帰宅できるのは、もうそのビール2本がすでに手中にあると思えているからだ。そしてそれはビールのことを考えていないときにも、常に脳の中に刻まれている。すると冷蔵庫を開けたときに、ビールが一本しか見当たらないときの失望もまた保障されているのである。
脳の中の貸借対照表においては、これを「貸し」に記入してあるだろう。その記入はかなり正確で、例えばそのビールの銘柄まで、冷えている温度さえも記入されているだろう。そしてあなたはそのビールを飲むということを忘れて寝てしまうという可能性はかなり小さい。気になったテレビの番組を見るのを忘れても、友人からのメールに返事をするのを怠ったとしても、缶ビール二本は消費される。それにより貸しが返されることで、最終的にバランスシートはプラスマイナスゼロになり、あなたはゆっくり床につくことができるだろう。(もちろんメールを出すこと、気になっていた番組を見ることが、日中から何度も頭を掠め、それを想像上で実現することで喜びを得るほどに重要であったら、もちろんそれらについても、対照表に大書きされ、その遂行に特別注意が払われることになるだろう。)
同じことは「借り」についても言える。例えば友人にメールの返信をすることが苦痛で、かつ必ず行なわなくてはならないことであるとしたら、その労働を行なうことについてはもうあきらめて、ビールに手を伸ばす前に済ますかもしれないし、のどの渇きを癒してからの一仕事として取っておくかもしれない。こちらはその「借り」を返すことでとりあえずは心のバランスを元に戻すことができるのだ。これについてもバランスシートは正確である。もしこの苦痛な仕事を忘れていたとしても、「何か一仕事が残っていたはずだ・・・」という感覚を持つということでその「借り」記載をあなたに教えてくれる。それを行なうことなく一日を終えることにどこか後ろめたさを覚えるのは、いわばこの対照表からのアラームなのである。