2012年8月1日水曜日

続・脳科学と心の臨床 (65)



愛着と脳 3



昨日私が言いたかったのはこういうことだ。愛着とは決して心理学的なプロセスだけではない。かなり生物学的なものだ。それを通して、脳の配線の基礎が出来上がるのである。人はそれを一生使っていくのであるから、しっかりと安定したものが必要だ。建物の基礎工事と考えてもいい。人間は生まれたときにはその脳は未熟で配線はほとんど出来ていない場、動物的な部分はすでに出来上がっているので、まずはそれを使って愛着の形成を開始する。それがマクリーンの言う爬虫類脳、つまり脳幹、大脳基底核というわけである。
さてここからが今日のテーマだ。もちろん脳の配線はそれだけでは十分には成立しない。親子の間の情愛の交流があり、そこでの気持ちの通じ合いが起きる必要がある。そしてそれには脳幹だけでは全然足りない。感情をつかさどる大脳辺縁系という部分が必要となる。そしてそれがマクリーンの呼ぶ旧哺乳類脳なのである。

ここで考えてみよう。イグアナの親子の中むつまじい光景など考えら得るか?蛇のお母さんが子蛇を抱っこして毛づくろいならぬウロコづくろいをするとか? やはり想像できないだろう。爬虫類はまともな愛着など形成しないのだ。第一愛着、というからにはそこに情緒的な結びつきが想定されるわけであり、それには子供は可愛くなきゃらない。ということはやはり毛とか羽が生えてなきゃ。ということはやはり哺乳類っきゃないだろう・・・・・。ここら辺一気に非論理的になったが、気持ちはわかって欲しい。親子の結びつきは、そこに情緒が伴わなければ愛着とは言わない。そこにかかわるのが大脳辺縁系、特に扁桃核と海馬である。
扁桃核と海馬については、「脳科学と心の臨床」でも触れているが、もう一度愛着との関連で触れたい。まず扁桃核。私はこれが好きである。扁桃核オタクといっても言い。だって面白いのだ。(ちなみに「扁桃」とは、平べったい桃、アーモンドの実ことだ。扁桃核も、アーモンドの実に形が似ていると言うことだろう。)
それにしても扁桃核と打ち込む為に、直接は変換されないからいちいち「扁桃腺」とまず打ち込んで、腺を核に書き換えると言うのには疲れた。そこで今後はAMと略記する。ついでに海馬はHCである。
AMは小さいくせにすごいことをやってのける。まず情報の中に危険なものがあると反応してアラームを出すような細胞がたくさん入っている。人間だったら、クモに反応する細胞、蛇に反応する細胞、職場の嫌いなあの人に反応する細胞・・・・・その大部分は、過去の忌まわしい記憶の結果生まれた細胞である。ということは、まずAMは記憶器官であるということだ。たとえばたまねぎを口に入れてまずくてゲーッとなった子供は、「たまねぎ」と聞くだけで「キライ!」と大声を出すだろう。ということはそのトラウマの記憶と、たまねぎ細胞の形成が共にAMの中で行われると言うことになる。実はこの作業を動物は生まれたときから行わなければならない為に、AMは生下時からもう機能しているというのだ。図も付けてしまおう。赤い部分がAMである。

http://www.co-bw.com/STW/STW_L15.htm より拝借

No title (5)
My Training in the TIP (Topeka Institute for Psychoanalysis)
 TIP has a long history in American psychoanalysis. Founded in 1942, It was one of the oldest analytic institutes and certainly the oldest in the Midwest in the US.. Topeka is a small town of the population of about 150,000, but a sort of mecca for those who wanted to study dynamic psychiatry, thanks to the presence of Menninger Clinic. TIP was located on the campus of Menninger and many staff clinicians were working for both of them. When I moved to Topeka, it was the last days of Dr. Karl Menninger, the founder of TIP and a very influential figure in the American psychiatry. After his death in 1992, his large office building was opened up to the TIP. In the early 90s, TIP was run by a group of “old timers”, such as Drs. Irvin Rosen, Leonard Horowitz, and Larry Kennedy (my analysit). There were also young and active analysts, such as Drs. Glenn Gabbard, Kathryn Zerbe, Erich Kulick and Becqer Benalcazar. These young analysts were also teaching at KMSP (Karl Menninger School of Psychiatry) for psychiatric residents and they were very popular among them. It was very fortunate for me to be trained as a psychiatrist at KMSP among these fellow residents before I moved onto the training of psychoanalysis which practically did not happen until I finish my residency program in 1993. It was in the spring of this year that TIP suddenly let me know that they considered that I was ready for the analytic training, based on my analysis with Dr. Larry Kennedy which had lasted for 2 and half years by that time.