2012年7月29日日曜日

続・脳科学と心の臨床 (62)

心理療法家への教訓

右脳が無意識・・・・・。だったらどうだというのだろう?それで患者への対応はどう変わるのだろうか?すくなくともフロイト的な無意識の探求は、一部修正を余儀なくされる。なぜなら患者の言葉が彼の無意識を反映している、象徴的に表しているという考え方はそのままでは正確ではなくなるからだ。「言葉≒左脳は無意識≒右脳の変形である」、というのは事実を反映していない。むしろ「言葉≒左脳は無意識≒右脳をその情緒的な側面として常に伴っている」と言うべきだろう。すると言葉の字義的な内容の分析にあまり意味はなくなってくる。むしろその言葉の意味にではなく、抑揚や、その時の患者の表情などに無意識を見出すということになるだろう。もちろん言葉≒左脳が、無意識≒右脳をそのまま代弁している場合もある。
たとえば患者がセッションの冒頭で「今日は何も話す気がしません。」と伝えたとする。まず従来の精神分析的な考え方だと、「これは患者の側の抵抗の表れである」ということになるだろう。しかし右脳≒無意識に基づく考え方に従った場合は、その言葉が伴っている情緒的なトーンに注意を向けることになる。するとその時の患者の声が抑うつ的に響いていたり、倦怠感を漂わせていたら、それらの情緒を伝えていることになる。またその言い方が何か挑発的であったり、とげがあると感じられたら、それは治療者に対する怒りの表現かもしれない。分析的な「これは患者の側の抵抗の表れである」という見方は、さまざまな可能性の一部を示しているにすぎないことになるし、ひょっとしたら間違いを含むかもしれない。「何も話す気がしない」は抵抗ではなく、その時の抑うつ的な気分のストレートな表現かもしれないからである。
しかしおそらく心理療法家は、分析的な意味での「患者の無意識の探求」を治療の目標とすることにはこれまでほど関心を持たなくなっても不思議ではない。患者と、その言葉≒左脳以外のすべてとかかわることを目指すかもしれない。それはどういうことか?
言葉とはいわば他人と社会的な関係を維持し、また自分にとって必要な信念や論理を守るための道具といったところがある。わかりやすく言えば「偽りの自己」(Winnicott)そのものである。その人が被っている仮面、外皮のようなものだ。猫をかぶる、というアレに近い。治療者は患者と対面して、その仮面を見通してその内部に語りかけ、内部とコミュニケーションを図る。ただしこれは言うはやさしく、行うは…難し、というより錯綜して非常に分かりにくいことになる。「より関係性を重んじよ」とか「ラポールを重視せよ」ということになるが、それって実は治療者側の右脳≒無意識をしっかり用いよ、ということにもなる。ここでこれ以上の解説をするよりも、次のような「心得」を掲げておきたい。
「心理療法とは、治療者と患者の右脳≒無意識同士の交流にその本質部分があると認識せよ(あとは自分で考えよ)」。

No title (2)


During my residency training in the psychiatric department, I took interest in psychoanalysis. Psychoanalysis was very actively promoted by the group of Keio University, with a strong leadership of Dr. Keigo Okonogi. Dr. Okonogi was one of the prominent psychoanalysts and a disciple of Heisaku Kozawa. Kozawa was a pioneer of psychoanalytic movement and had a personal contact with Freud when he trained in Vienna in the 1930s. Kozawa is also known for his notion of “Ajase complex” (a sort of Japanese counterpart of Freud’s Oedipus complex). Okonogi popularized his master’s notion of Ajase complex and wrote profusely on psychoanalysis and related topics. He stayed as the leader in the Japanese analytic community until his death in 2002.
As I reflect on my forming days as a psychiatrist in the early 1980s, my idea of going abroad and train in psychoanalysis was indirectly given by Dr.Okonogi. In my personal relationship with him, he stressed the importance of having a formal training of psychoanalysis that was not easily obtained in Japan at that time.