2012年7月29日日曜日

続・脳科学と心の臨床 (61)


右脳の機能として、これまで十分に扱ってこなかったものがある。それを最後に書いて終わりにしよう。それは自律神経の問題だ。「ジリツシンケイ?あまり聞かねえなあ」、と読み飛ばしたくなるかもしれない。私たちの体のうち自由にならない部分、つまり意図的に動かせない部分は、みなこの自律神経が関与している。私たちは腕や足を自由に動かすことができる。しかし緊張して胸がどきどきしているので、心臓の鼓動を遅くしたり、便秘気味だというので一生懸命大腸をくねらせたりすることはできない。それは、このいわば第二の脳としての自律神経が関係しているからだ。これから自律神経autonomic nervous systemを縮めて「ANS」と書き表すとするが、この自律神経という意味自体が、自分たちで勝手に動いて調節している神経系統、という意味であることはいうまでもない。そしてこのANSに深くかかわっているのが、右脳というわけだ。
ANS
では二つのシステムが綱引きをしているのはご存知だろう。交感神経系は血圧を上げたり、心臓をドキドキさせたり、ということに関係し、いわばエネルギーを消費する方である。それに比べて夜に活発になる副交感神経は省エネモードだ。ではこのANSが、「右脳=無意識」の議論にどのように結びつくのだろうか?そう、これを説明しておかなくてはならない。
ANS
がどうして無意識に関係しているのか?朝起きたあなたが、ふとそわそわしていることに気がつく。目もいつもよりさえているし、何か胸がドキドキしている。そして気がつく。「そうか、今日は会社でプレゼンの日なんだ。」この場合、あなたは今日は会社で「緊張を強いられることがある」という認識は完全な無意識ではない。しかしいつもにはない胸のドキドキを意識して「あれ?」と思った瞬間には頭になかったであろう。しかしそれを体、特に交感神経系のANSは知っていたということになる。ANSにはこのような性質がある。いったんは意識が「自分の身には~ということが起きるかもしれない」と判断すると、後はANSが自動的に体でそれを待ち受ける体制を作るのである。そしてこのANSの判断は正直である。もしあなたが「今日のプレゼンなんて楽勝だよ。緊張なんかしていないよ。」と人にもいい、自分でもそう思っているとしよう。でも心臓のドキドキや手足の震えはそれを裏切る形で体に表れるだろう。これはANSが無意識をあらわしているというわかりやすい例の一つといえる。


英語で書かなくてはならない原稿が出来てしまった。トホホ、である。ボチボチ書いていくしかないだろう。

No Title (1)



My career as a psychiatrist began when I graduated from Tokyo University Medical School in 1982. The psychiatric department of the Tokyo University Hospital at that time was still very politically inspired, bearing a remnant of active students’ activist movement in the 60s and 70s, which involved the medical school and several departments in the hospital setting. Our psychiatric department was literally split in half, outpatient department and impatient department, each run by a group of highly politically oriented psychiatrists, belonging to different political factions respectively. These two groups of psychiatrists were actually arguing and fighting, sometimes even resorting to physical aggression to accuse each others political stance on various issues, such as ethical concerns about psychiatric researches, problems involving lobotomy, and patients’ commitment for the sake of peace preservation (“hoan-shobun”). Having trained in these two departments, one year for each department, I was very struck by the mechanism of splitting which deeply implicates psychiatrists who are supposed to be aware of, and are able to observe and analyze, instead of acting on, such a “primitive defense mechanism”.