2012年6月18日月曜日

続・脳科学と心の臨床(26)

我が家の愛犬チビは、今朝6時22分に天国に旅立った。昨日の夜から3時間以上にわたる全身の痙攣発作で、すべてのエネルギーを使い果たしたという感じだった。(我々二人のエネルギーも相当減った。)この2,3日はもはや生ける屍状態だったが、やはり呼吸が止まったのを見届けると特別の感情がこみあげてくる。とにかく長い間有難う、お疲れ様といいたい。しかし・・・・今日からチビのいない生活というのも実感がない。



心理士への教訓)
養老先生の「バカの壁」(新潮新書、2003年)にこんなくだりが出てくる。
「たとえば容易に想像できるのは、仮に犯罪者の脳を調べて、そこに何らかの畸形が認められた場合、彼をどう扱うべきか、という問題が生じてきます。連続幼女殺害犯の宮崎勉は3回も精神鑑定を受けている。彼の脳のCTをとってみればわかることだってあるのではないか。」
「ところが、司法当局、検察はそれをやるのを非常に嫌がります。なぜならこの手の裁判は、単に彼を死刑にするという筋書きのもとに動いているものだからです。延々とやっている裁判は、結局のところある種の儀式に近い。そこに横から、CT云々といえば、心神耗弱で自由の身ということに繋がるのではないか、という恐れがある。だから検察は嫌がる。」(p150~151)エーっと、ちゃんと書きうつせたかな。誤字はないかな。
この記述は私がこの数日書いたことが臨床家としての心理士たちにとって意味することを端的に物語っていると思う。つまり心理士はこの検察のような態度をとってしまいがちということだ。なぜならサイコパスや連続殺人犯は普通心理士のオフィスを訪れてセラピーを受けるということはないからだ。心理士が扱うのは主として、サイコパスやその傾向を持った「しょうもない男たち」の犠牲者だからだ。だから心理士はサイコパスを社会の敵であり、同時に患者たちにとっての敵、として扱うことになるだろう。でもこれって、ひょっとしてダブルスタンダード(片方を差別的に扱っていること)ではないのか?サイコパスも脳の障害の犠牲者ではないのか?
この問題は決して他人ごとではない。何しろ心理士を訪れる人々の多くは「そして自分自身も!!」サイコパス的な要素を持っているからだ・・・・・。