2012年6月17日日曜日

続・脳科学と心の臨床(25)

チビはいよいよ神さんの姿を見ても尻尾を振らなくなってしまった。目はうつろで焦点が定まらない。というか何も見ていないようだ。時々小刻みな痙攣のような動きを見せる。もう口から入るのはわずかな水だけ。見ていて痛々しい限りだ。いよいよ覚悟しなくてはならないだろう。

この一般人の持つサイコパス傾向の問題は、これまでに論じたオキシトシンの話とも、アスペルガー障害の話とも、そして話を複雑にして申し訳ないが、ナルシシズム(自己愛)との問題とも複雑に絡み合っている。要は他人の心、特に痛みを感じる能力の欠如に関連した病理をどうとらえるか、ということになる。ここに列挙された状態はいずれも男性におきやすいということになるが、そこで想像できる最悪の男性像は目も当てられない。まず発達障害としてアスペルガー障害を持ち、前部吻側前頭皮質の容積が小さく、そしてオキシトシンの受容体が人一倍少なく、しかも幼少時に虐待を受けていて世界に対する恨みを抱いているというものだろう。しかしそれだけでは足りない。彼は同時に生まれつき知的能力に優れ、または何らかの才能に恵まれていて、あるいは権力者の血縁であるというだけで人に影響を与えたり支配する地位についてしまった場合である。まさに才能と権力と冷血さを備えたモンスターが出来上がるわけだが、歴史とはこの種の人間により支配されていたという部分が多いのではないか。私は再びいつもの嘆息を漏らすしかない。「男は本当にどうしようもない・・・・・」
このところそんなことばかりを考えていたが、先日見たワールドカップのアジア最終予選はすばらしかった。本田の誇らしげな振る舞いと、それに見合うピッチ上での機敏な働き。男性はやはり屋外で野獣を捕らえ、時には部族間の戦いで勇敢な働きをすることに特化した生物なのである。もちろん体を動かすことだけではない。政治の世界でも、学問でも芸術でも、他者との情緒的な関係性が直接関与しない場面で男性性は輝き、その価値を発揮する。そしておそらくはそれらの能力のために対人関係上に生じる様々な不幸をも作り出す運命にあるのだ。