2012年6月13日水曜日

続・脳科学と心の臨床(21)

もう少し福島先生の説に耳を傾ける。以下は「殺人という病」から。彼は従来の「主として心理―社会的次元の要因だけを考える従来のような記述的な研究だけでは不十分で、脳という生物学的な要因を十分に考慮し、生物―心理―社会的要因を総合する考察」が必要であるとする。(p7)。さらに殺人者の精神鑑定ではしばしば鑑定医により診断がまちまちであることをあげ、むしろ殺人者精神病 murderer’s insanityという概念を提唱する。そしてその主症状は殺人行為である、という。

私の理解が浅いかもしれないが、この殺人精神病という概念は、トートロジカルなところが問題なようである。「殺人を犯す人の生活史はバラバラで、反社会的な人はその一部にすぎない。いわば彼らは殺人をするという共通した症状を持つのだ。」つまり「殺人者は殺人という症状を持つ病気だ」。これでは殺人を犯した人の示すほかの症状や生活史上の特徴を抽出し、一つの疾患概念を打ち立てるというプロセスを無視した、いわば自明で中身が薄い疾患概念ということになる。「彼はどうして殺人を犯したのでしょう?」「殺人精神病だったからです。以上おしまい。」私はこの概念は、それでも殺人を常習としている人にはありかな、と思う。いわゆる連続殺人犯である。殺人を「症状」として抽出するためには、それがその人にとってパターン化していることが必要だからだ。しかし多くの殺人犯はそうではない。極端な例かもしれないが、リストカットを繰り返す人にリストカット症候群という診断を考えたとしても、リストカットを初めて行って救急に運ばれた人に、その診断をあてはめることはできないだろう。殺人精神病にはそのようなニュアンスがある。
ただしもしこの診断に信憑性を加えるものがあるとしたら、それは脳の所見であろう。多くの殺人者の脳には何らかの形態異常があるというのは福島氏の指摘したとおりである。ということは殺人を行う人は本来脳に異常があり、それが詳細に特定できればそれだけ一つの疾患単位として取り出すことが出来るのかもしれない。しかしここで一つの問題がある。たとえば殺人を犯した人の脳を調べると、脳のAという部位(実際には「前部吻側前頭皮質、側頭極」というところらしい。明日のブログあたりで紹介する。)に異常がある人たちが多かったとする。そのAの部位の異常が、殺人という一種類の異常行動としてのみ表れる必然性はあるだろうか?それは例えば反社会的パーソナリティ障害とかサイコパスと呼ばれる人々一般に当てはまるのではないか? 福島氏は鑑定という作業を通じて、多くの殺人者と接して、その脳の異常に関心を持った。しかしその同じ脳の異常が殺人以外の凶悪な犯罪行為、例えば暴行や傷害をも引き起こす可能性がある以上、それを殺人者精神病として特定することの意味も薄くなるだろう。