2012年2月9日木曜日

心得19.事例

事例)
患者から厳しいメールをもらうことがある。かなり以前の話だが、隔週で会っているある若い男性の患者Aさんから次のようなメールをもらったことになる。
「先生が昨日のセッションで言ったひところがずっと残っています。あの時先生は私のことをストーカーのようだといいました。でもそれは私の彼女に対する純粋な気持ちを全然理解していらっしゃらないことを証明していると思います。だいたい先生とはこれほど何度も話しをしてきても、やはり全然私の気持ちを汲み取ってくれていないのだと思うと、とてもむなしくもあり、情けなくなりました。」 このメールを読んだ瞬間私は苛立ちを体験した。すぐにAさんに送るメールとして次のような文面が浮かんだ。
「メールは緊急用に用いるだけになっていましたね。この種のコミュニケーションに使うのは適当ではありません。また念のために申しますが、私は昨日のセッションで、別にあなたがストーカー行為をしている、といったつもりはありません。『ストーカーのように思われるという可能性はありませんか?」と尋ねただけです。この種のミスコミュニケーションがあなたを時々悩ませていませんか?・・・・・』
しかしこのメールをそのままAさんに出すのは適当ではないということがわかっている。私の心は苛立ちでバランスを崩しているからである。そこで私はメールを「寝かす」ことにする。一晩置いて考え直すと、少し心のバランスが戻っている気がする。昨日頭に浮かべた文面は、まるでAさんと一騎打ちをしているようなところがある。正論で押しながら、やはり「私の言ったことを誤解するなんて、なんて人だ!」と思っているのである。「あなたがストーカーだといったわけではない、ストーカーと思われはしませんか、といっただけだ」という私の主張は、何かへ理屈のようにも思えてくる。ただし実際にAさんの執拗さが、彼女にとっては煩わしく思えているのではないかという懸念はあった。でも言い方に気をつけなくてはならなかっただろう。さらに言えば、「緊急連絡用」と断りながら、私自身もメールをAさんを論駁することに使っているということも自己矛盾だ。
         (以下略)