2012年2月14日火曜日

心得16.来談者に贔屓目に話を聞くことが多くの場合は共感である

よく面接者は中立性を保ちつつ来談者の話を聞くことを薦められる。しかし本当にそうであろうか?むしろ来談者の立場にかなり贔屓目に聞くべきであることが多い。次のようなやり取りを考えてみよう。
来談者:「また店長に差別されたんです。」
面接者:「そうですか。この間もそんなことがあったそうですね。」
来談者:「今度はもっとひどいんです。連休はシフトに入れてほしくない、と前から言っていたのに、他にいないからどうしても入って欲しい、と強引に押し切られました。明らかに私に不利なスケジュールをぶつけてくるんです。」
面接者:「なるほど。あなたは前からそこは旅行にいくつもりだとおっしゃっていたんですよね。」
来談者:「そうなんです。店長は私をやめさせようとしているのかも知れません。」
面接者:「なるほど。その可能性もありますね ・・・・・・。」
このようにセッションが始まるとする。面接者の方は、もちろん来談者が店長の行為を被害的に受け取りすぎている可能性も考えている。いや、かなりその可能性が強いと踏んでいるかも知れない。でも面接者は「店長はひどい人だ」という来談者の主張にいったんは沿う。明らかに来談者に味方をし、来談者の話を贔屓目に聞くのだ。これは技法だろうか、それとも面接のプロセスの中でのごく自然な流れなのだろうか?それはたいていはそうすることが来談者に対して共感的だからだ。
来談者の話を贔屓目に、好意的に聞くというのは多くの場合、来談者に対する共感と等価である、という理屈は、当たり前すぎてちょっと盲点かもしれない。でも私達人間の物事の捉え方は、たいていは自分に甘い、すなわち自分に贔屓目であるということは確かなことである。だから面接者がそれに沿うことは、面接者が自分の心を正確に理解してくれている、と感じ取られる。そしてそれが結局は共感なのである。
(以下略)