2012年1月29日日曜日

心得30.治療構造は常に「柔構造」である(1)

寒い。もういや!

「治療的柔構造」は、私が2008年に著した著書の題名でもあり、元慶応大学教授の大野裕氏がその発想のもとである。柔構造とは日本の古来の建築にみられる耐震性の高い構造の特徴をさし、要するに外力を受け流すしなやかで柔軟性のある構造ということになる。(他方鉄筋コンクリートによる従来の西洋建築などはこの種の柔軟性を書いた構造、すなわち「剛構造」ということになる。この柔構造と剛構造、どちらも純日本製の概念である。)
野先生はこれを治療の構造の在り方として導入したわけである。私はこの考えに共鳴してそれをテーマにした本を書いたわけであるが、そこでの要点は次のようなものである。我が国の精神分析界の泰斗であった故小此木教授が示した治療構造の概念は極めて基本的かつ重要なものであり、治療の構造、つまりセッションの行われる場所や回数や時間、精神分析における規則などがきちんと守られることが治療環境の安全性や継続性を保証するというわけである。この治療構造の概念は、精神分析的精神療法だけでなく、認知行動療法その他においても非常に重要なものと考えられている。
さてこの治療的柔構造の概念、少し誤解されることがある。それは治療構造は、それが必要なときには柔構造にする(すなわちそれ以外はできるだけ剛構造にする)、というものである。著者の私はそれを意図したのではない。治療構造はいつも柔構造である、ということが私の真意である。これはどういうことか?治療者は常に治療構造を柔軟なものにしなくてはならない。構造に対する外力には、柔軟さを持って対処するのが基本原則である。あとはどの程度の柔軟さを示すかが、ケースバイケースで、その時の治療者患者関係によるということである。
たとえば患者がセッションの終了時に話が終わらず、1分ほど長く治療室にとどまりたいと要望する。治療者はそれをとりあえずは容認するだろう。ところがもし次回は2分ほど延長を要求してきたとする。治療者はそれを受け付けず、とりあえず前回と同様の一分の延長にとどめるかもしれない。そのうちこれが患者のパターンだと知ると、一分の延長すらそれ以降は拒絶する療法家がいてもおかしくない。他方では同じ患者の身内に不幸があり、切羽詰まった気持ちを表現するのに時間がかかってしまったとしたら、延長時間は5分になったり、予定外のセッションを組むということにもなる。これらはセッションの終了時間を一つの目安、原則として守る時間と決めて、あとの余裕の部分を治療者と患者の関係性(といってももちろんそれを実行する主体はあくまでも療法家ということになるが)が決めるということである。それによりかなりユルユルの構造になったり、ほとんど剛構造に近い治療構造になったりもするのだ。
私はこの説明にボクシングリングを比喩として用いることがある。リングの内と外を仕切っているのは柔軟なロープである。少しの力には伸びることで外力に対応し、かつそれに当たった側の人(ボクサーやレスラー)の体を守ることになる。しかしそれは限りなく伸びては意味がなく、強い応力にはそれだけ大きな反動を示すことで、それ以上の外力の力を吸収する。これが治療構造の基本であるというわけだ。(他方では剛構造的な協会としては、例えば相撲の土俵がそうである。何しろ俵を取り組んだ力士のどちらが先に踏み越えたかどうかという一点で4人の審判が集まって協議したりするからである。
(以下略)