2012年1月30日月曜日

心得11の事例 (治療的な「残心」という考え)

私自身の例である。かなり以前に、早朝の分析療法を週に4回行っていたAさんとの思い出である。ある日Aさんとの朝のセッションが終えるころに出勤してきた受付係のスタッフの一人に「先生、毎日大変ですね。それにしてもあの患者さん、毎朝よく来ますね。」と声をかけられた私は、「そうなんです。実は彼は強迫的なんですよ。」と受けた。もしかしたら「私も強迫があるから続いているんでしょうね。」くらいは付け加えたかもしれない。いずれにせよ受付のブースの中でのちょっとした会話だった。そしてふと見ると、もう駐車場に向かっているであろうと思っていたAさんは、その受付のブースからさほど離れていない待合いロビーの掲示板に張り出された催物の告知か何かを眺めていたのである。私は「私と受付のスタッフとの会話を聞かれたかもしれない」と思いと思ってハッとした。「彼は私のこの言葉を聞いたとしたらどう思っただろう?」幸いAさんにこちらの会話を聞いたようなそぶりはなかった。私が少し残念に思ったのは、このちょっとしたかげ口のように聞こえたであろう話の内容は、私の本意ではなかったということである。ニュアンスとしては「私たちは似た者同士で、朝から毎日の分析をしています」ということを言いわけがましく受付のスタッフに伝えたわけであるが、早朝毎日のセッションは、精神分析の関係者(治療者も患者も)にとってはごく当たり前の事なのである。ただし分析の事をあまり知らない一般の人(この受付係のスタッフもそうであった)に対しては、少し自嘲気味にそのような説明を加え、受付スタッフの勤務前にセッションを始めさせてもらっているという多少イレギュラーなやり方に目をつぶってほしいといういともあった。しかしそれでもAさんとのセッションを終えた直後に、彼が聞く可能性もあるところでその様な会話をすることの愚かさを反省した。


(以下略)