2011年8月30日火曜日

対人恐怖とは?(3)

Q: 「ばら色のサクランボの木と白いりんごの木」をリーヌ・ルノーの歌でお聞きしました。

A:え、リーヌ・ルノーって彼女そんな歌も歌っていたんですか?
Q:そこ、突っ込まないでくださいね。ところで先生は対人恐怖ということですが、思春期にそうなったと聞きましたが、そもそも何歳ぐらいから起きてくるものなのですか?
A:いろいろなケースがあると思いますが、典型的なものはやはり思春期以降でしょうね。異性を意識する時期以降です。あるいは恋愛対象を意識する、という言い方じゃなくてはいけませんね。同性愛の方もいますから。でもその時期は自分というものを強烈に意識するという時期です。よく小学生とか中学一年生のなりたてのころって、髪もボザボザだし、来ているものもダサいし、要するに他人の目をあまり気にしていない。少なくとも表面上は美しく、かっこよくありたいなんて思わないわけです。ところが思春期になると突然櫛を持ち歩くようになり、鏡に見入るようになる。そんなときです。雷に打たれるように、強烈な羞恥心に襲われるのは。そして強烈な羞恥はすぐ恥辱のレベルになるのです。それが対人恐怖のレベルといっていいでしょう。
Q:シュウチシン?チジョク?そこで急に専門用語を出さないでください。どういうことを言いたいんですか?
A:アーア、あなたは対人恐怖の言語がわかっていない・・・・もう次の曲に行ってください。
Q:曲に逃げないでください。まず説明していただきましょう。
A:つまりこういうことです。羞恥とは、恥ずかしい、照れくさいということです。必ずしも不快ではない。くすぐられたようなものです。恥ずかしがっている人って、たいてい笑っているでしょう。人はもともと生まれてしばらくは、視線を浴びたいものです。見られることは快感です。その名残でしょう。でもその体験が強烈で、痛みを伴う程だと、ひとは自分の中の何かが暴かれ、白日の下にさらされるような气分になる。それが恥辱なのです。
Q:先生調子に乗って簡略体を使ってで喋らないでくださいね。