2011年4月15日金曜日

「続・解離性障害」の断片

現在書きためている著書からの抜粋である。

第◯章 解離の歴史(2) ヒステリーの概念からいかに解離が生まれたか 


本章では解離ないしはヒステリーの概念の歴史に注目したい。ヒステリーは臨床的には解離性障害と同一である。しかし解離性障害が精神医学の中で正式な位置を占めているのに比べ、ヒステリーは依然として不条理で不当な扱いを逃れないままでいる。それはこの概念が背負っている歴史的な経緯のためであり、その為に最近の精神医学ではヒステリーという用語は用いない傾向にある。そしてヒステリーへの偏見は、実は解離性障害に対する無理解をも生んでいる可能性が否定できないのだ。
ヒステリーは人類の歴史と同時に存在していた可能性がある。その古さはおそらくメランコリーなどと肩を並べるといってもいい。ヒステリーに関する記載はすでに古代エジプトの時代すなわち紀元前2000年ごろには存在していたとされるのだ。
最近出版された「The Technology of Orgasm: "Hysteria", the Vibrator, and Women's Sexual Satisfaction.(オーガスムのテクノロジー:ヒステリー、バイブレーター、女性の性的満足」という本は、ヒステリーが人類の歴史上いかに多くの誤解を受けていたかという問題を斬新な視点から浮き彫りにしている好著であるが、それに沿って論じてみたい。Maines, Rachel P. (1998). The Technology of Orgasm: "Hysteria", the Vibrator, and Women's Sexual Satisfaction. Baltimore: The Johns Hopkins University Press
紀元前5世紀には古代ギリシャの医聖ヒポクラテスがヒステリーを子宮の病として記載している。そもそもギリシャ語の「ヒステラ」(Gk. Hystera)「子宮」を意味することは広く知られている。かの哲学者プラトンもまた、ヒステリーについて次のように記載している。「子宮は体の中をさまようことで、行く先々で問題を起こす。特に子宮が丸まって胸や器官に詰まってしまった場合は、それが喘ぎや息苦しさを引き起こす。」「この病は子宮の血液や汚物の鬱滞のせいであり、それは男性の精巣から精子を洗い出すのと同じようにして洗い流さなくてはならない。」(Technology of Orgasm P,24)
同じく古代ギリシャの医学者のガレノスは、紀元一世紀になりヒステリーについての理論を集大成した。それによるとヒステリーは特に処女、尼、寡婦に顕著に見受けられ、結婚している女性に時折見受けられることから、情熱的な女性が性的に充足されない場合に引き起こされるものであるとされた。ヒステリーのこのような扱われ方は、主としてヒステリーの持つドラマティックな身体症状が人々の注目を集めていたからであると考えられる。「子宮が体中を動き回る」ことによって引き起こされていたのは、主として身体面の様々な症状だったのである。
ガレノスは非常に具体的な治療法について書いている。それによるとヒステリーは特に処女、尼、寡婦に顕著に見受けられることから、女性の性的欲求不満により生じると考えられ、治療法としては、既婚女性は性交渉を多く持つこと、そして独身女性は結婚すること、それ以外は性器への「マッサージ」を施すこと(これは今で言う性感マッサージということになるのだろう)と記載されている。驚くことにこの治療法がそれから二十世紀近くまで、すなわちシャルコーの出現まではヒステリーの治療のスタンダードとされるのだ。(Understanding somatization in the practice of clinical neuropsychology. Oxford University Press, 2007, P3)
ガレノスの説がこれほど長く続いたということは、それがヒステリーの本質に迫った説明の仕方であったことを示唆しているであろう。その一つの特徴は、それが事実上子宮を有する女性にのみ限定される病気であるという考えを正当化していたことになる。そしてそれは従来社会でまた女性が直面していたタブーとも関係していた可能性があるのだ。一般的に文明が未発達であからさまなタブーが存在する社会において、解離性の症状が生まれやすいと考えられる。文明の恩恵をまだ十分に受けていない文化において、さまざまな形での文化結合症候群が見出されてきたことは周知の通りである。そして女性の性愛性は、おそらく長年社会における最も大きなタブーのひとつであった可能性がある。ヒステリーを女性の性愛生の抑圧と結びつける傾向もそれらの事実と関連があるものと思われる。
このヒステリーに関する理論の中で特に興味深いのが、男性との性交がその症状を軽減する、という考え方である。17世紀の医学者による同様の記載も紹介しよう。「妻たちは処女や寡婦たちより健康状態がいい。なぜなら彼女たちは男性の種と自らの分泌物によりリフレッシュされる。それにより病気の原因が取り去られるのだ。それはヒポクラテスの言葉のとおりである。」(Nicolaas Fonteyn, 1652 Technology of Orgasum p29)
今の時代からはとても考えられないことではあるが、当時はそれがまことしやかに考えられていたのだ。そして私はそこには男性の側のファンタジーが明白な形で介在している可能性があると考える。つまり「女性は常に男性との性的なかかわりを望んでいる」という男性の側の願望ないしは論理が、結果的にヒステリーに関するこのような間違った観念を存続させていたとも考えられるのではないか?