2011年2月3日木曜日

失敗学的に八百長相撲を考える

「・・・ メールの中には、「1つ貸しているので、あと20で利権を譲りますがどうですか」「今日はまっすぐ思い切りあたっていきます」など、勝ち星の貸し借りやカネのやりとり、取組内容などについて、詳細に打ち合わせをしたと思われる文面があった。実際、夏場所では、前日にやり取りされたメールの内容に沿ったとみられる取組もあった。」(2011年2月3日03時04分 読売新聞)

これって、不完全な存在であるわれわれ人間としては、いかにもやりそうだね。「失敗心理学」(私の造語)的にはおおあり。相撲ってひょっとしたら八百長が一番きくのでは。野球やサッカーを考えて欲しい。「9回にホームランを打つから、甘い球を投げて」「後半左からのクロスをボレーでシュートするから、マークを甘くして。」どちらもありえない。すぐ観客にそれとわかる。それにバットがボールを真芯で捉えたり、シュートが枠の中に飛ぶとは限らない。ボールはいかようにでも転がる可能性がある。だから団体の球技の八百長は一般に難しいだろう。それでも一番可能性ありなのは、レフリーを買収することか。サッカーの国際試合などでも、彼らの「あり得ない」裁定には観客もすでになれているからだ。実際に結構頻繁に八百長が起きていると聞く。しかしそれにしても、ボールがポストに当たって跳ね返ったのを「ゴール!!!ピーッ」というのはあり得ない。せいぜいたいしたことのない反則でPKを与えるくらいか。こちらはそのチームに一点をプレゼントするのとほぼ同じだからだ。
相撲はその点いい(いや、もちろんよろしくない!!)。力で押し合っている同士にしか、加減がわからない。ということで、少し星が足りなくて困っている力士は、ほかの力士からお金で都合をつけてもらうこともあるだろう。ケータイという便利なものもあるし。
しかしこんなコメントをテレビかどこかでしたら、すごい顰蹙ものだろう。もちろん八百長を奨励するつもりなどない。でも相撲協会を公益法人として認めるのはもうやめたほうがいいし、国技として特別扱いする必要もないだろう。それよりもこの種の八百長がおきにくいシステムにすればいいだろう。星の数により位が上下する制度を改めるとか。「何場所負け越すとどうなる」という制度があるから、星の売買が行われるのではないだろうか?
ともかくも失敗心理学的には、この種の八百長はいくらでも起こりうるし、それで人の善悪を決めることなどできないということを言いたいだけである。