2011年2月13日日曜日

うつ病再考 その(7) かくしてうつは誤解される

ところで精神疾患の専門家である精神科医でさえ、うつには原因がある場合が多いという考え方に偏っている人がいる。精神科医はうつ病は「内因性」の病気であるということを知っているはずだ。「内因性」とは、「外因性」、つまり脳に対する外側からの、あるいは遺伝的な影響によるものとも、「心因性」、つまり精神的な原因によるもの(つまりは「心のうつ」に相当するもの)とも違うということになっている。「内因性」、とはつまり、脳の中で何かが起きているに違いないが、今のところはその正体は不明だという意味だ。しかしそのうち脳科学がすすめば、何らかの病変が見つかるはずで、その際は「外因」のもとに収められるようになるという前提がある。そうなると実は「内因性」と「外因性」を分ける意味があまりなくなってくるわけで、事実この区別はアメリカの精神医学では死語化しつつある。
さてうつ病に原因を想定する人は、たいていは「メランコリー親和型」、つまり几帳面で完璧主義な人たちが働きすぎてうつになる、と考える傾向にある。昔テレンバッハというドイツの高名な精神医学者(私はパリで実物を見たことがある。25年前、すでに高齢だった。)がそのような説を唱えたのだ。するとここで「きっかけ」を原因と勘違いする、という現象が起きる。例えば仕事でほんの少しつまずいて落ち込んだ、上司にちょっとダメ出しをされた、風邪をひいて体力が落ちた、という「きっかけ」が直接うつを引き起こしたと考える可能性があるのだ。そして「心のうつ」の第3原則がたちまち応用される。上司にちょっと注意されたという「きっかけ」によりうつになった人に対して、「そんなことくらいでうつになるとは、よほど心の弱い人だ」ということになるのだ。
原因のきっかけへの取り違えは、実は患者の家族にも、そしてここが重要なのだが、患者自身にも起きる。心のうつの原則を一番信じているのは、実は患者自身である。私達の心は、ほとんど常に僅かな心身の異常に対して原因を追求したり、説明したりしているのである。少し頭重いと思ったら、「ああ、昨日ワインを少し飲み過ぎたから」、耳鳴りがしたら「でもこれまでも時々あったのと同じだから、心配は要らないな。」とか。原因を追求することは、それにより少しでも心身の保全を守ることができるからだ。
普通は上司に叱られたくらいではめげない人でも、その後不眠が始まり、上司の叱責の声がなんども頭をめぐるようになったとしたら、それが原因でうつになった、と思うだろう。「一体オレはどうしたんだろう。あんな事くらいでこんなに落ち込むなんて・・・・。こんなに弱い人間だったとは知らなかった。」うつを誤解し、自分を弱い人間と一番思い込んでいる人は、実は患者さん自身だったりするのである。