2011年2月11日金曜日

うつ病再考 その(5) 木の枝に異変が・・・・「脳のうつ」

以前小沢一郎のことを書いたが、どのように彼の性格を表したらいいかよくわからなかった。しかし数日前にネットで読んだ記事で少し腑に落ちた。(「自己正当化のためなら平気で嘘をつくタイプの小沢氏 「神話」は枯れ尾花」 2011.1.31) http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110131/stt11013109050002-n1.htm
自己欺瞞、ウソつき、ということだがそれだけでは言い表せないある種の不誠実さ。Mauvaise fois??一種の反社会性?しかし彼は例えば家族は大事にするだろうし、溺愛している愛犬もいるらしい。もちろん彼は知的で多彩で、その人格は複雑かつ重層的であるはずだ。しかしこの「平気で嘘を付く」傾向は、政治家小沢のあり方を決定的な形で特徴付けているのである。

さてさて、素人さんにはあまりわからない事情。木の枝に異変が起きることがあるのだ。木が病気にかかり、枝が弱くなったり弾力性を失っていたりするという事情を考えてもいい。その枝は一見普通に見える。でもちょっとした風にも大袈裟にたわんだり、すぐ折れてしまったりする。あるいは風も吹いていないのに、力なく垂れ下がっている。 素人さんはその枝の異変に気がつき、実際に触ってみて普通の枝とはぜんぜん違うことに気がつく。ちょうど「こより」か何かのように弾力性が失われて力を加えると簡単に曲がってしまう。「どうしちゃったの?」
さてここで起きたことを整理する。正常な枝は、「心のうつ」に従った反応を示す。一昨日述べた三つの原則に従っていた。
1.心の受けたダメージの大きさにより、うつも深刻になる。← 枝は、受けた力や風の強さに応じて大きくたわむ。
2.原因が取り除かれれば、うつも自然に回復する。← 力や風が収まれば、枝はもとの形にもどる。
3.同じ程度のダメージなら、精神的に弱い人ほど落ち込みも激しくなる。 ← か細く弱々しい枝は、同じ外力でもそれだけ大きくたわむだろう。
素人さんは、それ以外の枝の振る舞いをよく知らないから、だらしなく垂れ下がっている枝を見て理解に苦しむ。そして大概は3.の原則を当てはめて「なんてだらしないやつだ。こんなことでくじけるなんて。」と思う。しかしその時ところが病気になった枝はそれ自身の性質が変わってしまっている事には気づかない。顕微鏡で組織を見ると、明らかな病的な変化が見つかるだろう。細い繊維の断裂が見られたり、何らかの細菌のようなものの侵食が見られたりする。つまりは枝の性質が勝手に変わってしまう。
読者はもうお分かりと思うが、これが私の言う「脳のうつ」に相当するというわけである。脳の組織の微細な部分に病変が見られる。微細、というか光学顕微鏡でも電子顕微鏡でも確認できないような変化が起きている。神経の間の信号の伝達に携わる物質(セロトニンとか、ノルアドとか・・・)
さてここで、枝が病気になる、脳のレベルでのうつになることにはなにか原因があるのか、という疑問が起きるだろう。これについては悩ましい問題であるとしかいいようがない。枝の病気なら、例えば細菌の感染などが手っ取り早い原因として考えられるだろうが、脳のうつはそれを起こすような細菌やウイルスはあるものの、大部分の「脳のうつ」はそのせいで起きるのではない。もう少し複雑なプロセスがそこにある。例えばどうして癌になるのか、という問題と同様の、実に複雑な要因が絡んで「脳のうつ」が生じる。遺伝かもしれないし、脳という組織の持つバグかも知れない。几帳面な正確かもしれない。幼児期の外傷が何らかの形で影響しているのかも知れない。メランコリー親和型かもしれない・・・・でもたいていはよくわからないのである。
ただ一つ明らかなのは、「脳のうつ」は「心のうつ」とは、基本的には別物だということである。つまり「心のうつ」になった人は、たいていは「脳のうつ」に移行することなく回復する。また「脳のうつ」は例えばショックな出来事がなくても起きる。
よく新人の医師の頃は、うつ病の患者さんが現れるとどのような日常のストレスがあったのかを尋ねたりした。失恋とか、受験に失敗したとか、上司とうまくいかないとか。原因のないうつはないと思っていた。そうすると原因のないところにもそれを読み込みたくなることにも気がついた。
例えば会社での仕事が忙しくなり、それに追い回されてどんどんストレスが溜まってうつになった、など。しかしそのような話のかなりの部分が、実はうつが始まることで仕事の能率が下がったということが真相であったのではないかと思えるようにもなった。
ところでここまで「心のうつ」と「脳のうつ」とを別々に説明してきたが、実は一番の難所が待っている。いちばん良くわからない部分。それは「心のうつ」と「脳のうつ」は合併し、影響しあう、ということだ。(続く)