2011年2月9日水曜日

うつ病再考 その(4)  「心のうつ」について

私の「読者」(現在17人)が増えているのは嬉しいが、実は「読者」という意味がわかっていない。読者は特に何もコメントをくれない。読者をクリックしても特に何も書いていない。ということで私は読者に何か失礼なことをしているのではないかという気がする。グーグルの説明を読めば書いてあることだろうが、こういうことをほったらかしにしてしまうのだ。「FISH」の餌のやり方も、読者から教わったし。書きたいことを書けばあとはどうでもいい、という態度だ。

私たちはあるつらい体験を持った時に、心が折れた感じ、何もやる気が起きず、しばらくはそっと一人にして欲しいと感じる。布団をかぶってずっと寝ていたい、という気持ちにもなるかもしれない。頭の中は大抵、そのつらい体験を何度もなぞっている。上司から叱られた時の言葉、彼(女)から別れを告げられた言葉など。それを繰り返し繰り返しプレイバックし、その度に胸がシクシク痛む。英語で heartbreak
という言い方があるが、まさにそうだ。
私はこのようなつらい体験に対する心の反応を「心のうつ」と呼ぶ。これ自体は、人間である限り誰でも体験していることだ。そしてそれはある単純な法則にしたがっていることが分かる。

1.心の受けたダメージの大きさにより、うつも深刻になる。
2.原因が取り除かれれば、うつも自然に回復する。
3.同じ程度のダメージなら、精神的に弱い人ほど落ち込みも激しくなる。

私たちはこれらを実感として知っている。先日のブログで「しろうと」と「プロ」という失礼な言い方をしたが、「しろうと」さんたちがもっぱら、いや唯一知っているのはこの「心のうつ」の法則なのだ。彼らは人はショックなことがあると落ち込むことを知っている。彼らもそれを体験している。ダメージが大きければその分ショックが大きいことも知っている。友達にちょっと悪口を言われたら、一日落ち込むだけかもしれないが、本格的に裏切られたら、3日間はそのことが頭から離れない、ということを知っている。そして友達にちょっと悪口を言われたくらいで3日間落ち込む人は、弱い人、と思うかもしれない。その場合はこの3の原則が効いている。普通はすぐ忘れるようなことをくよくよ考える人は、「弱い」人間ということになるのだ。だからしろうとはすぐ「あの人は弱い人だ」「あいつはだらしない」という決めつけ方をする。しかし案外間違ってもいない。人生の辛さにすぐ音をあげてしまう人もいれば、タフな人もいる。後者のような人が自分の人生をバリバリ切り開いていく様子を私たちは見ている。そうかと思えば少しのことにくよくよする人たちもたくさんいる。それらの人たちを見て、私たちは少なくとも無意識的にこの種の強い人、弱い人を区別しているのかもしれない。
この「心のうつ」のたとえとして私が用いるのは木の枝、である。木の枝が風でたわむ。強い風にはより大きくたわむだろう。でも弱い風に大きくたわむ枝を見たら、それは「弱い」枝、鍛え方の足りない枝と思うだろう。本来脆弱だったり、風雨により鍛えられていない枝、と考えるかもしれない。(続く)