2011年1月1日土曜日

interpersonal trauma の訳語について(まったくどうでもいい仕事の話)

私はしばらく前から、関係性のストレスrelational stress、という概念を提唱しているが、それに似ていて気になっているのが、最近良く見かけるinterpersonal stress, interpersonal trauma という概念である。私がアメリカで過ごした2004年頃までは耳にしなかった表現である。当時はもっぱらCSA(幼児期の性的虐待),CPA(幼児期の身体的虐待)、neglect などの表現のほうがよく聞かれた。これらはその言葉により表現されるようなざっくりとした大雑把な外傷概念である。いかにもアメリカらしく、大味。私の考えている関係性のストレスは、もう少し微妙で目に見えない様な外傷、同居者どうしの生活の中で様々なやりとりに含まれるストレスを意味している。まさに対人関係を持っていることで自然に生じてしまうようなストレスという意味だ。

そんなわけで relational stress と interpersonal stress とはぜんぜん違う意味を持つことになる。しかしこれをどのように日本語で使い分けるか、をはっきりさせる必要に今迫られている。ここ半年”The Haunted Self” (Onno van der Hart et al) の訳出作業を行っているが、そこに interpersonal trauma という言葉がよく出て来て、訳し方をまだ決めていないのだ。直感的にはサクっと「対人ストレス」としてしまいたいが、それだとシンプルすぎて、むしろ「対人間の外傷」などと説明的な訳しかたをすべきだという意見も出てきそうだ。
そんな時「過去にどう訳されているか」はかなり重要な問題である。そしてそれを知るための作業は楽ではないが、最近はインターネットのおかげで非常に楽にできるようになってきている。(こうして私の仕事はますます「座業」になっていく。図書館に足を運ぶ必要がますますなくなっていくからだ。)
まずよく見かける interpersonal stress をどう訳すかという問題がある。可能性としては「対人間(タイジンカン)のストレス」、「対人間ストレス」、そして「対人ストレス」の三つがある。(心理の世界ではサリバン派が interpersonalist などと呼ばれ、「対人関係学派」などと訳されることが定番になっているから、「対人」という表現を入れることは必須である。これは動かせない。)

先ほど述べたようにすでに誰かが論文や著作でこのうちのどれかをすでに使用していたら、それに敬意を払う事をまず考え、出来るならそうすることは学問的にも貢献する。(でもよほどひどい訳の場合は、別である。)もしどれも使われなければ自分が好きな訳語を当てることが出来る。
さて interpersonal stress がすでに「対人ストレス」として使われていることは、三つをそれぞれググることで分かる。「対人ストレス」がしっかりヒットするからだ。実際にこの表現で論文を書いた人がいることもわかった。ちなみに「対人間ストレス」と入れると、Google から「もしかして『対人ストレス?』」と聞かれてしまうから念が入っている。
では肝心の interpersonal trauma はどうするか?理論的には「対人外傷」となるはず。「interpersonal stress」 が「対人ストレス」という先例がある以上、interpersonal をサクッと「対人・・・」としてしまうことが許されるからだ。そこで念の為にググってみると・・・「対人外傷」はヒットしない。ということは今、ここで私が interpersonal trauma を「対人外傷」、と胸をはって決めていいということになる。
ちなみに「対人外傷」「対人トラウマ」とググって何も出てこない(ブログ作者がたまたま気まぐれに使ったものがヒットしたものは除こう。)これにもすこし驚く。ネットの情報は膨大なのに、使われていないものは、本当にヒットしないものだ。ネットには何でも情報がある、とは決して真実ではない。
そこで今日から interpersonal trauma は「対人外傷」と訳すことを宣言。共訳者のN先生が賛成してくれればそれが今年中には出るであろう上述の本の訳語となる。そしてそれは、私の好きな「関係性のトラウマ」とはぜんぜん違う概念である。(少なくともカブっていなくてよかった。)

こんな気長なことが出来るのも、そしてダラダラとこうして書けるのも、正月休みでずっとパソコンの前にいられるからだ。