2011年1月3日月曜日

解離に関する断章 その7  DIDの成因

最近結構見ている正月二日の箱根駅伝。職業病で変なことを考えてしまう。走者はみな苦しそうな顔で、しかし走りのペースは崩さずに淡々と走ってくる。そして次の走者に襷を渡した途端、コーチらしき人にタオルを掛けられると同時に崩れ落ち、腰が抜けて立てないようになってしまうことが多い。これって鬱の発症に似ている。昨日まで仕事に来ていたのに、今日は朝から起き上がれない。そこで本人や家族が会社の上司に連絡をする。上司は当然「昨日まで平気だったよ。急に欝なんてありえないよ。甘えじゃないの?」

崩れ落ちたランナーに「ほら、しゃんと立て。さっきまで走ってきたじゃないか。甘えるな。しっかりしろ。その気になれば走れるんだ。」という人は、あまりいないだろう。この扱いの差はナンだろう?一種の差別扱いdouble standard と言えないだろうか?
さらに私の職業病がかっているのだが、彼らは襷を渡したときに、あるいは仕事に行けないことを受け入れたとき、スイッチが切り替わるのだと思う。なにも「別人格にかわる」とは言わない。しかし心身の状態が切り替わり、「もうダメ」状態になる。いったん変わったものを意図的に切り替え直すことは、通常の意志の力では無理なのだ。


DIDの成因という問題について考える。一昨日は「対人ストレス interpersonal stress」(最近欧米でのはやりの表現。結局は幼児期の心的、性的、身体的虐待 + ネグレクトの言い換え)との関係で、私の提唱する「関係性のストレス」という概念について述べたが、このようなことは他の人が言っているのか?これをちゃんと調べないといけない。ちょうど今審査のために読んでいる修士論文で、院生の期待の星Nくんが手際よくまとめているので参考にする。
まずはあまりにも有名な、Kluft の4因子説。(Richard Kluft は一昔前の解離の世界ではカリスマだが、最近は威光に影がさしている。この間学会で見かけたら、「笑うせえるすまん」みたいな風貌のただのオジみたいになっていた)第1因子は、本人の持って生まれた解離傾向。これはわかる。第2因子は「対人外傷」の存在。第3因子は「患者の解離性の防衛を決定し病態を形成させるような素質や外部からの影響」という、ある意味では一番掴みどころのない因子だ。しかしこれはその本人の持つ解離性障害の具体的なあり方を決定している要素、例えばアニメのキャラクターが交代人格のあり方に影響を与えるといった状況をさすらしく、解離性障害の形成自体は、第1,2因子で決定しているというところがある。なあーんだ、そういうことか。そして第4因子は、保護的な環境であり、言わばいったん成立しかかっている病理を保護修復する環境の欠如である。アメリカ人らしい、合理的な提案と言える。結局核心部分は、第1,2因子と考えていい。
もう一つ有名な Braun と Sachs の3 P モデル(1985)。彼らは準備因子、促進的因子、持続的因子である。このうち準備因子とは、本人の持つ解離能力や、優れたワーキングメモリーも含むという。そして促進的因子は、ここでもまた親からの虐待等が含まれるという。
解離性障害の発症については、この他にRoss の4経路モデルが有名だ。これは児童虐待経路、ネグレクト経路、虚偽性経路、医原性経路、という経路を考えるが、これもかなり大雑把な話である。要するに母子間の微妙な感情的、言語的なズレから来る亀裂、といったニュアンスはこれらの主要な理論には含まれていないということだ。ただしネグレクトでも解離が起きる、という提言については注目に価すると言えるだろうが。
私としてはやはりマイクル・バリントの「basic fault」の概念が一番「関係性のストレス」のニュアンスを伝えていると考える。(続く)